環境や人に何も求めない。

自分に対して常に満足できるようになってからは、他に対して何かを求めることがなくなりました。

求める、というのは自分の思い通りになってほしい、またはそれを願うということです。

求めないということは、環境や周りの人がどうであれ、望む姿になることを必要としない、ということだと思います。

あるとき、私は周りに何も求めなくなったなと思うことがありました。

それは、諦めとは違って、自分は自分、周りは周り、といった形で、基本的に自分の課題だけを考えて、周りに対して課題を出したり、答えを要求することがなくなったのを意味します。

その時の私は、常に満たされて幸福感があり、正直これでいいのかと焦るぐらいでしたが、それでいいのだと思います。

人が外に要求するときは、基本的にないものを見ている場合が多いでしょう。

視力検査をしたことがあれば、一度は見たことがあるかもしれません。

『円のどこが開いていますか』

片目を閉じて、上下左右の質問にこたえる、あれです。あの円をランドルト環と言いますが、ないものの方に目が行っているとき、人は開いている部分だけを見ています。

残りのほとんどは黒い枠線がありますが、枠線がないところだけを見て、『ない、ない』と言っていることが多いと思うのです。

あるものに満足すれば、それ以上を望むことも、ないことを悲しむこともなく、ただあるものを見て、静かに感謝するだけです。

人生が、ランドルト環のように、単純にわかりやすかったらいいのですが、自分にはないが人にはあるとか、誰かとの比較が出てくると、あるものに目を向けるのがなかなか難しくなるでしょう。

ただ、あるものを探すとき、実際に物質としてある状態ではなくても良いと思うのです。

例えば、誰か人を思って、心から大切に思うとき、物質としてその心があるわけではありませんし、例え何かの行動に起こさなくても、静かに相手の幸福を祝福する気持ちがあれば、それはあるのです。

必ずしも結果を伴って、物理的に得ることができなかったとしても、心の中に大切な思いがあれば、あるだと思います。

ですので、ランドルト環の黒い部分の枠線を十分に表現していることになると思うのです。

何かを変えたい、変わってほしい、と願っているとき、それはやはり『今、ありません』と言っているようなものですので、変わろうとか、変えようとせずに、今を満足して生きていれば、自然といろんなことが変わってくるのではないかと思うのです。

自分がどうしたいのか、自分が何を望んでいるのかを、相手や環境のせいにせず、向き合って考えるという時間も必要だと思うのです。

そして、どうしたい、こうしたいと思っていても、実はすでに満たされていたということもありますし、自分を変えることはできても、自分以外の人を変えることはできないということを知るのも大切です。

自分の課題は自分で、相手の課題は相手がするということを忘れて、自分の課題を誰かにさせてしまったり、または相手がする課題を勝手にしてしまわないように気を付けなければいけませんね。

いかがでしたか。

何も求めない状態になると、とても満たされていると同時に心の平安があります。

逆に、必要以上に求められることがあり、それが自分の課題ではなければ、はっきりと断る勇気も必要ですね。

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