共感し、相手に寄り添ってあげることは大切だと思いますが、それはバランスも大事なのかな、と思うことがありました。

精神科医やカウンセラー、人の相談を聞く職業の人が、同じく精神面に大きな影響を受けやすい。

そんなことを以前聞いたことがあります。

楽しい話を聞くならまだしも、内容が聴いていても辛く重たいものであれば、共感能力が高い人にとっては、自分が経験していないことでも、まるで自分が経験しているかのように感じ、重たいものを一緒に背負ってしまう可能性もあるのかもしれません。

先日、友人からある話を聞きました。

友人は接客業をしているのですが、そこには話を聞いてほしい人がたくさん来るそうです。

以前の店長が、プライべートなことなど話を聞くスタイルの接客をしていたため、特に何も買うわけでもないのに、週に何度も来ては、何時間も話を聞かないといけない状態が続く。店長が移動になった今も、そのような方が多数来店されるとのことでした。

話を聞き始めると、店員の一人はその対応に取られてしまい、他のお客様に声をかけることが出来ないですし、そのほとんどが個人的で重たい内容だそうで、帰られた後には肩が重たくなり、ぐったりすると友人は言っていました。

確かに人生において、辛く苦しいことはたくさんあります。みんなそれを乗り越えながら生きています。

ですので、辛い時期から立ち上がり、本当に何とかしたいと思うなら、その専門家や話を聞いてくれたり、解決に導いてくれるしかるべき場所に行くと思うのです。

友人のお店は洋品販売店ですから、接客しながらいろんな話をすることもあるでしょう。

ですが、そこで話をしたところで何も解決するような場所ではないのです。

その話を聞きながら、いわゆるエネルギーバンパイアのことをふと思い出しました。

共感力が高く、優しい人がいれば、そのような人からエネルギーを奪ってしまう人の事です。

悲しい話や苦しいことを切々と訴えて、相手が共感し、自分と同じくらいにエネルギーが下がった時にすっと奪う、そんな風だったかなと思います。

奪った本人にその自覚はないと思いますし、友人の優しさに救われることもあるでしょう。

しかし、中途半端な優しさは、場合によっては自分も一緒に落ちていく可能性があると思うのです。

ですので、強い気持ちを持って、自分の専門外であるという気持ちを持つことも大事だなと思いました。

私は小さい頃から、野良猫や野良犬、またはペットショップの動物も触らないようにしていました。私は犬も猫も大好きなので、本当は触りたいし、撫でたい。

ただ、その犬や猫を一生死ぬまでお世話することが出来ないなら、責任をとれないなら、期待をさせたり、自分が触りたいからとこちらの都合で動物を扱ってはいけないと思っていました。

ですので、いつも犬や猫を見かけたら、心の中でかわいいなと思ってもそれ以上近づくこともしませんでした。

助けたい気持ちはとても崇高だと思いますが、救助の仕事の方がなぜ普段から過酷で大変な訓練をしているかというと、人を助けるということは、やはりとても危険だからだと思います。

『私が話を聴いてあげなきゃ』

と思うかもしれませんが、もしもそれで共倒れになったら、おそらくその人はターゲットを変えるだけで、他のところにエネルギーを奪いに行くだけだと思います。

私は自分の事を救えるのは、最後は自分だけだと思いますし、答えはすべて自分の中にあると思っています。

ですので、冷たいように思えますが、その力が相手にもあると信じて、時には冷静に対応するのも必要だと思いました。

いかがでしたか。

周りにもしも奪いに来る人がいたら、そうさせないという強い気持ちを持つのも大事です。

そして、自分の事をまずは愛し、自分を大切にすることだけを考えましょう。

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