助けてもらうことは、謙虚でないとできないことなのかもしれません。
先日、職場の人で、体調を崩しており、みんなから心配されている人がいました。上司や同僚のみんなから休むよう言われて、休める状況にもかかわらず、なぜか受け入れず一日仕事をされていました。
しかし、その後不機嫌になり、自分が休めなかったのは会社の体制に問題があると訴えていました。
それを遠くから見ていた時、一つのたとえ話を思い出したのです。
そのたとえ話とは、このようなものです。
ある修道者が災害にあいました。絶体絶命の中で、信心深い修道者は神さまに祈ります。
『神様、どうか助けてください。』
その時、救助隊がやってきたのですが、修道者は断ります。
『神様が助けてくれるので、大丈夫です。行きません』
また、神様に祈ります。
『神様、どうか助けてください。』
すると、また救助隊がやってきました。
しかし、修道者はまた断ります。
『神様がきっと助けてくれる』
そうしているうちに、ついになくなってしまいました。
死後に神様に会えたので、修道者は文句を言いました。
『なぜ神さまは私を助けてくれなかったのですか!』
神さまはこういいました。
『私は何度も救助隊を使って、助けを送ったではないか』
このような話だったかと思います。
人に助けてもらうというのは、時として自分の弱さに向き合わなければいけなかったり、恥ずかしかったり、情けなかったりするものです。
誰だって、出来ればすべてを自分の力で成し遂げたいでしょうし、人に迷惑をかけると思えば、助けてもらう時に申し訳なさもあったりして、なかなか素直に受け入れることもできないかもしれません。
ですが、人間はだれしも完ぺきではありません。弱いのは自分だけでもないのです。
みんな弱いから、他の人がいないと生きられないのであって、その気持ちを忘れて、自分だけで生きている、誰にも助けてもらわないというのは、もしかしたら謙虚さに欠ける行為なのかなと思いました。
また、助けてもらうとき、それは人を信用しないとできなくて、相手が自分より出来るから助けてくださいと言える。
だとしたら、その時、相手は自分より出来る人だ、ということも場合によっては突きつけられると思います。
ですので、プライドが高く、人に弱いところを見られたくなかったり、出来ない自分を認めることが出来ない時も、助けを受け入れられず断ってしまう場合もあるでしょう。
本当に謙虚な人は、出来ないことを『できます』とは言いませんし、自分を犠牲にしながら、『助けは求めていません!』と親切を突っ張れるようなこともしないでしょう。
『できません』『助けてください』『わかりません』
そういう言葉を言うことは、決して恥ずかしいことではありません。
出来ないことや、助けを求める行為は人格を否定する言葉ではないからです。
だから、助けを求めていいのです。そして、助けてもらえるときは、素直に受け入れましょう。
その時に、『神様が助けに来るのであなたの助け入りません。』
というのではなく、一言『ありがとう』
と言えばいいのです。
そう考えたら、人に助けてもらうということは、相手を信用し、自分の弱さを受け入れる、実はとても勇気がいることなのかもしれませんね。
あなたは素直に助けを受け入れられますか。
私は毎朝こう祈っています。
『今日もどうか私を助けてください。支えてください。導いてください』
それは自分を卑下しているわけでもなく、ただおおいなる力を信頼してすべてを委ねる気持ちです。助けを求め、その助けを受け入れる姿は、もっとも勇気があり謙虚な姿だと私は思います。
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