今日が人生最後の日だと思って生きる。

そういう本もあるようですが、今日という日を大切に大切に生きることとは、一体どんな生き方なのでしょうか。

今日が最後の日だと思ったからといって、ハチャメチャなことをしていいというわけではありません。

やりたい放題しても、今日が最後の日だからいいんだ、というお話ではないのです。

とりあえず、想像してみましょう。

もしも、今日が最後の日だと思ったら、一体どんな一日を送るでしょうか。

まずは朝目が覚めた時、もう今日しかない一日を、大切に生きようと心に思うはずです。

歯磨きや洗顔も、丁寧に行いながらきっとこう思うでしょう。あぁ、もっと丁寧に磨いていれば良かった。朝食を食べるときも、これが最後の食事だと思えば、少しずつ少しずつ口に運んでは、じっくり味わって、なかなか飲み込めません。

食事をすぐに終わらせたくなく、本当にゆっくり、よく噛んで、味わって食べるでしょう。

これが最後の食事なら、あれが嫌いとか言わないで、何でも喜んで食べればよかったと思うでしょう。

仕事に行くとき、乗り物に乗ったり、歩いているときも同じです。

これが人生最後の運転か、と思えば、とにかくゆっくり、運転する時間を抱きしめるように車に乗るでしょうし、バスや電車にももう二度と乗れないと思えば、噛み締めるようにその時間を味わうでしょう。

職場や家庭でも、不平や不満を言っていたころが懐かしく、それも今日が最後だと思えば、感謝の気持ちが湧いてきて、涙が出てきそうになります。

あんなことで、文句ばかり言うんじゃなかった、よく考えたらそんなの大したことでもなかったのに。

その日々がどんなに輝いていて、その生活をいかに自分が大切にできていなかったかを、失って初めて気が付くのです。

人生100年時代にはなりましたが、寿命は順番どおりでもないし、どんなに若く健康でいても、明日が来る保証は誰にもありません。

だから、今日が最後の日だと思って生きる。

今日が最後の日だと思って生きるって一体どういうことなのでしょうか。

前述のとおり、今この瞬間のことに集中して、そのことだけを行えばいいのです。

歯を磨くときも、顔を洗うときも、食事や家事、仕事、その時々で今していることに集中するのです。

そして、今この瞬間に行っていることを丁寧に丁寧にする。

字を書くときも、この一画が人生最後の文字だと思って、丁寧にペンを動かし、食べるときも飲むときも、この一口が最後だと思って大切に噛む。

言葉を発するときは、この言葉が最後の言葉だと思えば、不平や不満は出ず、感謝の言葉が出てくるだけです。

人生における苦しみの一つは、この人生はずっと続くと思い込んでいることにあるのではないでしょうか。

本当は、いつ突然寿命が来て、命を絶たれるかわからないのに、今が永遠に続くと思い込んでいる人がほとんどだと思います。

だから、恵まれていても感謝できなくなったり、いろんなことも当たり前になって、ないものをばかりを探すようになってしまっているのではないかと思います。

そして、今日が最後だと思えば、いろんなことに喜び、感動すると思うのです。すべてが感謝があふれて、今まで自分はこんなにも恵まれていて、助けられていたんだと気付く。

人生とは、実は奇跡の連続で、私はいつもいつも祝福されていたのだと。

一日中そうやっていれば、食事だけで日が暮れてしまいそうだけど、それぐらい所作を丁寧に、感謝して生きると、人生大きく変わるような気がします。

そんなことしてたら、一日が終わっちゃうよ。

そう思うかもしれません。もしも、そう思うなら、日々のタスクが多すぎる可能性があります。少なく出来そうなら、毎日のToDoを少なくしてみるとか。仕事だから、家族がいるから仕方ないという場合もあるでしょう。

そういう時は、何か一つでもいいので、大切にしてみましょう

自分の足で歩いて移動することでさえ、出来なくなることだってあります。今、自分の足で歩けているなら、それがどんなに奇跡なのか、どんなに素晴らしいことなのか。

いつかはいろんなことに終わりが来て、昨日までできていたことが、今日できなくなることもあるかもしれません。

ですので、未来の事や、過去の事ばかりを考えるのではなく、今この瞬間はもう取り戻せないのだから、目の前のことを見て、そのことだけにエネルギーを一点集中させるのです。

今日が最後だとしたら?何かをするときに、いつも自分にこの質問を投げかけてみてください。

いかがでしたか。

人生を味わうように生きること。それは自分の事を心から大事にできていることだと思います。

今日もお読みいただきありがとうございます!