かなりのんびり生きている、と思っていたけれど、最近自分の中に『焦り』の感情があることに気がつきました。

例えば、時間に追われている、期限迫っているなど、わかりやすくリミットがあるならいいのですが、現実的なものに関しては特にありません。

それなのに、なぜそのように思ったのか、少し考察していました。

ほんの些細なことだと、待ち合わせの約束があるとか、仕事に行く時間、家族が帰ってくるまでに家事を済ませておくとか、本来なら日々の生活の中にある小さな期限や約束のようなものがないと焦る必要ってないと思うのです。

もともとあんまり遠い未来の約束もしないほうなので、今日急に決めた、みたいな感情で動いていることがほとんどなのに、私は一体何を焦っているのでしょうか。

実は、この焦りの感情はかなり小さい頃からあって、コロナ以降、そして最近どうもその気持ちが強いような気もしていて、落ち着かない。

生れる前に、何かをするように誰かと約束でもしていたのだろうか、とも思うのです。

ただ、焦っていても何も始まらないし、今すぐどうこうというわけではないのなら、一旦焦りを受け入れることにしました。

焦っても仕方ないというか、今できることは限られていますし、例え道半ばにして約束が守れなかったとしても、それが日々の全力の姿ならそれも仕方ないことでしょう。

理由は全く分かりませんが、なんとかしないと、という気持ちが強いのも少し気になりますが。ちなみに、私の周りに助けを求めている人は一人もいません。

この感情は、前にも同じように感じたことがありました。

以前、人が助けを求めていることに遭遇したことがあったのですが、助けを求める声はあまり聞こえなくて、特に何も思わず自宅に居ました。

そのうち、心の中で『はやく!はやく!』という声が響き、突然いてもたってもいられなくなり、スマホ片手に家を飛び出したら、ちょうど助けを求めている人を見つけました。

その時の感覚にとても似ているというか、なんだかものすごく焦らされているというか、はやく!はやく!みたいな気持ちのざわつきがあるのです。

とはいえ、何をするのかもわからないので、とりあえず立ち上がってうろうろしてみたものの、一旦落ち着いて坐ることにしました(笑)

そして、今日一日、今この瞬間を味わうように生きてみるのはどうかなと思ったのです。

味わうように生きるとは、何かを話すときもその言葉一言一言を大切にしたり、焦ってたくさん話すのではなく、一音一音を耳で聞いてみたり、食べるときも飲むときも、何かをするときに、その動き、所作を丁寧にするということです。

それこそ、毎日時間に追われる生活でしたら、ご飯をとっとと食べて、歩くときも風景を楽しんだり、一歩一歩歩く瞬間を味わうようなことはできないでしょう。

ですので、一日の内、一回でもそういう時間を作るようにしたらどうかなと思いました。

それを自分だけの楽しみとか、自分と繋がる時間として、短時間であってもゆったりと、心を落ち着かせる時間が見つけられると思うのです。

自分と繋がる時間がないということは、常に外側の環境に身も心も寄せてしまっていて、心が離れているんですよね。

だからもしかしたら、ものすごくスローモーションで動いてみたり、その所作をするまでにあえて時間をかけたり、そんなことしている時間なんてないよ!と思う人ほどしてみてほしい。

私は手帳も好きなので、いろんなことを書いたりするのですが、その時にこの文字が人生最後の文字と思って書いてみたりして、文字を丁寧に書いています。

そうすると、普段は雑然とした文字なのに、ものすごく美しい字が書けるんですよね。

その文字を後で見返した時、とてもいい気分になります。

毎日の小さな小さな積み重ねが人生を作るのだとしたら、今この瞬間を大切に生きれば、焦りなんて感じないし、毎瞬全力であれば、後悔なんてない。

ということに気が付いたのですが、いかがでしょうか。

年齢的にも、だんだん焦りを感じたり、若い頃には考えなかったようなことも考えるようになったのだと思います。

それも、生きているからこそ感じられるものですから、大事にしていきたいと思っています。

今日もお読みいただきありがとうございます!