思いは伝わる。
そう思うと、もう言わなくてもわかるだろうとか、話さなくても同じような考えだとわかる、という人もおられるかもしれません。
想念や考えたことが、テレパシーのように伝わる能力が、人間には備わっている。私はそう考えていますので、1から10まで話さなくても、察するとか、空気を読むといったこともあると思います。
ただ最近、本当によく思うのが、やっぱり面倒でも対話する時間を作って、お互いを分かり合おうとするのはとても大切だなと心から思うようになりました。
正直、ものすごくエネルギーがいることだと思います。
一緒に暮らしている家族でさえ、分かり合うのは難しいのに、一歩外に出て、暮らしも違う人同士が分かり合おうとするのだから、それはそれは労力がいることだと思います。
また、深く関われば関わるほど、傷ついた時の打撃は大きく、そうならないためにも、深入りしないという関係を保とうとしてしまう人もいるのではないのではないでしょうか。
最近は、大事なこともスマホやパソコンのメッセージのやり取りで終わらせてしまうことも多く、関係性が希薄になってしまうのも仕方がないかもしれません。
それでいい、と思わずに、できるだけ対話する時間を作るのはいかがでしょう。
私もあまり自分の気持ちの多くを人に話すほうではなく、自分が何を思い、どのようにしたいと思っているのか、ということを口にすることはありませんでした。
ただ、自分の事を口にしないだけならまだしも、相手の話もそこまで熱心に聞いていたわけでもありませんでした。
というのも、自分があまり人に話さないように、相手もそんなに話したくないだろう、と勝手に考えていたからです。
最近、いろんな人と話をする機会が多くあり、その時に、あぁこんな風に思っていたんだねとか、私が勝手に考えてそう思い込んでいただけだったのか、みたいなことも何度かありました。
ですので、恐れずに対話することは本当に大事だなと強く思いました。
私が人と対話をして一番恐れていたのは、互いに意見が食い違い、もめるようなことになりたくないというのもあって、意見を出しすぎなければ喧嘩になることもないだろうと考えていたのもあります。
本当は、喧嘩をするようなことがあっても良いと思うのです。
前述のとおり、寝食を共にしている家族でさえ、すべてを分かり合えるのは難しいのですから、ましてやそうではない関係性であれば、お互いに完璧な人間像を期待するほうが難しいと思います。
衝突があって当たり前だと思います。
喧嘩をするぐらい熱く意見交換をすることもは、とてもいいことだと思うし、そのあと今まで通り、普通にやり取りができるようになれれば一番いいと思います。
そういう後のフォローとか、認め合う気持ちがあれば、思ったことを言い合ってぶつかり合うのも悪くはないと思います。
その時に、相手の本音が見えなくてもそれでもいいと思います。嘘をつかれていてもいい。
よく、嘘はいけないと言います。
もちろん、私もできるだけ嘘はつかないように生きていますが、それでも大丈夫ではないときに、つい心配をかけたくなくて、大丈夫ですと言ってしまったり、強がったりしてしまうことがあります。
また、周りに対しても、止むを得ず嘘をついてしまうこともあると思います。
ですので、心の中をすべてさらけ出す必要はないと思います。逆に嘘をつかれているのであれば、心を開けない相手、本音が言えない関係性の場合もあるかと思います。
まずは自分の方から心を開いて、話をし、その結果、相手が同じように心を開いてくれなかったとしても、いつか話したくなる日が来ると信じて。
それまで待ちましょう。
たいていの人は、話を聞いてもらいたがっているけど、大人だからとか、器が小さいと思われそう、愚痴とか悪口になるとか、なんやかんやあって、本音が言いにくいこともあると思うのです。
また、不平不満や、愚痴は言わないほうがいいとも言われますし、心を隠して生きていることもあると思います。
いきなり愚痴や不満を言うのはちょっとどうかなと思うのですが、そこに至るまでにいろんな話をして、その結果、時には愚痴や不満があっても良いと思うのです。
弱音を言いたくなる時もあります。自分だけ苦しいけど言わずに我慢していたことも、いざ周りに話してみたらみんな経験していて、みんな苦労していて共感してもらえたり。
相談に乗ってくれることもあるでしょう。
いかがでしたか。
相談、本音を言ってくれるのは信頼の証です。逆もまたしかり。
まず先に自分の心を開いて、私はあなたを信頼していますというメッセージをテレパシーで送りましょう。
その先はテレパシーではなく、ちゃんと対話しましょうね。
今日もお読みいただきありがとうございます!