雇用されている、されていないに関わらず、ほとんどの人が何かしらの労働をして働いているでしょう。

今日は、この働くということに関して、感じたことを書いていきたいと思います。

働くって一体何なんなのでしょうね。

生きていくため?家族や子供を養うため?もらった給料で自分が好きなことをするため?誰かを助けるため?老後のため?

働く理由はいろいろありますね。

では、もし働く理由がなかったらどうしますか。

生活費も十分にあり、誰も助けを求めていない、家族のために働く必要はない、好きなことも好きなようにできる。

そうなれば働く人はいませんよね。

物作りが好きな人がいたとして、働かなくていいなら、私は毎日いろんなものをずっと作り続けていたいんだ、

そう言って、働くのをやめて好きなものをどんどん作り続けていたら、出来上がったものが欲しいという人が現れて、利益を得るようになり、職業になった。

本来このようにして、好きや得意が仕事になることが、自分にも周りにも幸せになることだと思いますし、みんながそういう生き方ができれば一番いいと思います。

しかし、現実にはそうもいかず、造ったものだけで生活していけるかどうかということを考え始めると、なかなか好きだけでは食べてはいかれないことも多くあり、

芸術や音楽、スポーツ、物作りなど、素晴らしい才能を持っていても、スポンサーや協賛がなければ職業として成り立たずに、結果的に趣味の範囲から出られないことも多くあります。

私自身は企業に雇用される会社員も、個人事業主も両方経験したので、どちらのメリット、デメリットも感じており、一概にこちらが良くて、こちらが悪いとは言えません。

ただ個人的には、今の企業の雇用の在り方には大きく疑問は感じています。その中で、どのように生きるかは、その人の状況や選択次第なので、何を選んでも、それもまた一つの生き方でしょう。

ですので、雇用されている、されていないに関わらず、どちら側にいてもいいから幸福である方がいいと思うのです。

現在の雇用契約では、基本的には、正社員は8時間労働だと思います。私は雇用されているとき、このシステムにどうも違和感を感じていました。

というのも、会社側としては、そこに8時間『居る』だけで人件費が発生しますし、また雇用される側としては、人生の時間の切り売り、大切な人生の時間の提供し、それによって収入を得る、ということがあまりピンとこなかったのです。

例えば、その『居る』ということで、何か特別なポジションだったり、重要な仕事を任されていたとしても、

万が一私がいなくなっても会社が倒産するわけでもありませんし、例え会社の代表であっても、企業が存続するためにすぐに代わりの人が代表になるでしょう。

そこには当然自分オリジナルはありませんし、あなたであっても、私であってもいい、業務の内容次第では機械であってもいいのです。

最近、今後AIにとって代わられる仕事が増えるという内容をよく見かけますが、

ヒューマンエラーをなくすことを考えたら、逆に言うととって代われない仕事の方がないような気もしますので、どんな仕事でも機械化が進めば、それを操作する人が残るだけになるかもしれません。

また、楽しいと思った物づくりでさえも、それを仕事として生活していくこと考え始めた瞬間に、好きなことではなくなります。

雇用されているときには8時間だけ仕事をすればよかったのに、今度は24時間仕事のことを考なければいけない生活に変わってくるのです。

ただ、好きだけじゃだめなのか。

ですので、もし仕事を選ぶとしたら、雇用されていようがいまいが、自分の持つ特性や自分に合っていること、好きなことに近いことを選ぶ方がいいと思います。

例えば、家事が得意な人もいれば、勉強を教えるのがうまい人、運転が上手だったり、計算が得意な人も。

みんな、得意、不得意があるのですから、それに応じて仕事を探したり選べばいいと思います。

しかし、その中にも条件、年齢制限や学歴、または家庭を大事にしながら働ける環境か、ということを考えると、

自分が好きなことや得意なことは二の次で、やりたくないけどするしかない、とか特性に合っていないけど、人でが足りないから来てもらうといったことになる方が多いと思います。

ただ、その中で経験を積んで、結果特性にあってきたり、好きになることもあるので、一概には言えないこともあるとは思いますが。

最近、いろんな企業の担当者さんと話す機会があって、企業側も一体どんな人を雇用したらいいのかわかっていないし、仕事を探す側も何をしたらいいかわからない、という人が多く、

今、仕事がない人と、人手不足の会社がたくさんあります。

これは、企業が人を採用するにあたって、根本的に考え方を変えなければいけないし、仕事を探す人ももっと自分を知る必要があると思っています。

それを考えずに、募集をかけたり、求人に応募しても、結果として仕事が続かなかったり、誰も幸せにはならないような気がするのです。

もしも、AIにもとって代わられない職場があるとしたら、その職場は一人一人を人として扱っていると思いますし、雇用されているのも関わらず、その人オリジナルを尊重しています。

結果、それによって働く人はそれぞれの特性を発揮して、利益を上げることができますし、

雇用されているけれど、それぞれが自由な発想で、安心して好きなことがことが出来る職場であると言えます。

ですので、雇用されていても、自分の好きなことが安心してできる職場、社員の能力が十分発揮できて利益を上げられるという、いわゆるいいとこどりの職場であれば、会社も社員も両方幸せになります。

また、物づくりが好きでも、マネジメントや経営は得意ではないかもしれませんし、いくら経営者になりたくて野心家であっても、先を見抜く力がなければ会社は路頭に迷います。

人にはそれぞれ、自分に合ったちょうどいい場所がありますので、何か別のもので自分を偽るのではなく、そのちょうどいい場所に行くことが幸福の近道なのではないでしょうか。

いかがでしたか。

皆が幸せに思えること。労働を苦役や罰のようになるのではなく、特性を発揮できる自己表現の場になればいいのになと思います。

今日もお読みいただきありがとうございます!