自分の事が好きですか。

 

自分に対してどのような思いを抱いてるのか、改めて考えてみると、いろんな気付きがあると思います。

 

私に関して言いますが、学生のころ自分の事がどうも好きになれなくて、どちらかというと嫌いでした。

 

そして人生に対しても、この人生を生きるのが嫌で、いつも人生をやり直せたら、あの人のように生きたいとか、このように生きたいと考えることが多くありました。

 

その理由の一つに、自分が努力できなかったとか、もっとできることがあったのではないかとか、

 

その時の自分としては精いっぱいだったと思うのですが、あとで考えた時、どこか自分の努力不足のようなものを感じてしまっていたからです。

 

というのも、私の中にいつも諦めのような感覚が存在しており、どこか冷めた目線で、学校教育に関しても、これは将来に役に立つのかとか、妙に大人びた、少しうがった目線で物事を見ていることが多かったというのもあります。

 

正直、今でも学校のいろいろって大人になって役に立つものばかりではないと思いますが、与えられた時期にそれを一生懸命する、という意味で役には立っていると思うのです。

 

そんなことにも気が付かず、
 

『えーこんなの大人になってから役に立たないよ。だからする必要なし』
って、与えられるものを拒否していることが多くあったと思います。

 

『まーまーそんなこと言わずに、今しかできないことを一つ一つ一生懸命してみたら』
 

と、子供のころの私に言いたい(笑)

 

きっかけはともかく、いろんな出来事から自分の事が嫌いってなってしまった時、それを無理矢理、

 

『自分を好きになりましょう』とか、
『自分を嫌いにならないで』と

思う必要はないと思います。
 

もちろん、今現在自分が嫌いという方もです。

 

自分を嫌いと思うということは、自分の嫌なところがきちんと見えている人なのだと私は思います。

 

そして、それを見て見ぬふりをしたり、その嫌なところを、誰かや何かのせいとは言わずに、

 

『私が他人だったらこんな人嫌だわ』

 

という感覚を持ち合わせているから、自分をまっすぐ嫌いだと思えるのだと思います。

 

そのように、自分を他人目線で見ているから、ある意味客観的に見れているのだけど、嫌いな面だけに意識がフォーカスされています。

 

本来、嫌いなところが見えているのでしたら、おそらく良いところも見えているはずなのです。

 

それなのに、良いところにはフォーカスされていないのはなぜでしょう。

 

良いところを探すときは、自分目線のような感覚になってしまうんですよね。

 

例えば、自己愛とか利己主義とか、自分を愛しましょうとイコールになる言葉にあまり良い印象ではなくて、

 

本来自分を愛せる人は、他者も愛せたり、認めることが出来るのだけど、

自分のみ正義、自分のみ愛というものと同じような意味を表す印象になるので、大っぴらに言いにくいというのはあるかもしれません。

 

その結果、自分に対して世界で一番厳しい人が自分の中にいて、いつも見張られたり、裁判に掛けられたり、罰を与えられていることに気が付かないでいることもあると思います。

 

自分を愛することも好きになることも大切ですが、
まずは自分のことをどのように考えているかは知る必要があると思います。

 

なぜなら、悪いところしか見えていないのに、
 

『愛しましょう』は結構難しいと思います。

 

たいていの場合、好きになるときは、相手の良いところや素敵なところが見えた時でしょう。

 

大好きな有名人がいたとして、ものすごい嫌なことしか見えないけど好きなんだよねーという方はほとんどいないと思います。

 

だから、自分の事を見た時に、良いところにフォーカスが向いているのか、悪いところだけを見ているのかでも感じ方が違うと思います。

 

中には自分を好きになりたくて、頑張って自分を変えようとしたりするのですが、その根底に、

 

『私の○○の部分が嫌い。だけど好きになりたいから頑張る』

 

という思いがあれば、

好きになりたいから頑張る、の方ではなくて、
私の○○の部分が嫌い、の方にフォーカスされるので、そればかりが現実に映し出されるようになるのです。

 

私の○○の部分が嫌い、私のことが嫌い、となると、
世界には私が嫌う○○な現実が現れますし、私のことも嫌う人が現れます。

 

それを見て、
『あ、ほらね、やっぱり私は嫌われている』
としなくてもいい答え合わせをしてしまうのです。

 

それだけならまだしも、中にはそこから私のことを嫌う世界を呪ったり、人や環境、世界のせいにしたりし始めます。

 

その結果、自分を好きになれないのは、
自分の事を嫌っている人のせい、人生がうまくいかないのも、環境、世界に問題があるように思い始めてしまうのです。

 

なんか現代においてよくある感じですよね。

 

そして、その問題を糾弾することに時間やエネルギーを使ってしまい、似たような考えの人と集まって、目に見える世界を変えることが生きる目的になってしまっているような気がします。


で、結局どうしたらいいかというと。
 

まずは、以前も投稿しましたが、

 

 

自分の良いところやあるものを探すといいと思います。

 

良いところが見つからない、そう思うかもしれませんが、必ずできます。
 

なぜなら、いままではその逆で、ないもの探しをずっとしているはずだからです。

 

ですので、ないものを探すというよりかは、あるものをどんどん探していく方がいいのかなーと思っています。

 

ですので、ないもの探しから、あるもの探しに変えるだけです。

 

さらに、そのないもの探しに、良いところ探しも含めてみましょう。
 

優しいところがある・困った人、を助けられる・夢中になれるものがある・○○が好きだ、などです。

 

そうするうちに、今まで見えてこなかったあなたの良いところがたくさん出てきて、自分に対する見方が変わるかもしれません。

 

だからと言って、無理に好きになりましょうとか考えなくてもいいのです。
 

自分の事を好きになれない時はだれしもあると思います。

 

その時に、無理に好きになろうとせずに、ただ良いところだけを見ていくと、好きとか嫌いとかいうところを越えて、自分を『認める』という感覚になります。

 

『認める』ということは、そのままでいいと宣言したことになります。

 

いかがでしたか。

 

ないものを探すとき、場合によっては過去の出来事や感情など、もう掘り下げなくて

もいいことまで探してしまって、苦しくなるだけかもしれません。

 

あるもの、いいところ探してみましょう!

 

今日もお読みいただきありがとうございます!