なぜそうしたのかあまり深く考えたことはなかったのですが、数か月前に突然壁に掛けていた時計を、理由もなく外しました。

 

時計を見る癖があったので、始めはよく何もない壁を見ていましたが、最近ではそれも無くなり、時間に追われるとか時間について考えることなくなりました。

 

時間に対する執着、時間について書きたいと思います。

 

時の流れについては、以前、

 

 

日記がかけないというところで、
時間は過去・現在・未来ではなく今・今・今である、
 

という内容を書きました。

 

実は小さい頃からいつも時間に追われているような感じがあり、なぜか生き急いでいるなあとは思っていたのです。

 

家族を急な事故で亡くしたり、病気で失いそうになった経験があったため、
『明日の今頃、生きていられるかは誰にもわからない。後悔しないように生きないといけない』とずっと思っていました。

 

そのため、後悔しない生き方、学びたいことに時間をかけてきましたし、その結果得られたものも多くあり、今、この瞬間こうしたいと思うことに正直に生きてきました。

 

しかし、ある時にこの生き方でいいのかと疑念が湧くようになってきて、それはコロナのあたりからよく見られるようになった、または今もそうなのかもしれないけど、

 

来年はこわいよ、もうすぐ怖いの来るよ、そのままじゃだめだよみたいな動画やスピリチュアル系の配信を見るようになってしまい、恐怖や心配、不安が強くなってきました。

もともと時間に追われていた根っこの部分が、家族との時間が無くなった恐怖もあったので、そういう『こわいよ、こわいのくるよ』みたいなもの引き寄せたか、想念が創り出したか、とにかくあえて選んでみていたのだと今ならわかります。

 

ちなみに、当然こわいものは何もきていません(笑)

 

家族との経験は『過去をやり直したい』という、時間に対する強い執着に変わり、一方で未来に向けては『二度と同じ後悔はしたくない』という強烈な欲求に変わっていました。

 

その中で、現実は完全に空白で、失ったものを取り戻そうとする不足感と、先に対する恐怖心、この二つが私を生き急がせる理由だったと思います。

 

前述のとおり、

 

過去・現在・未来が
今・今・今であれば、
不足・空白・恐怖が同時に存在して生きていたため、

 

それらを引き寄せたり、その想念が生み出すものは何なのかというと
 

『こわいのくるよ』ですよね。

 

『もっとこうすればよかった』と、時間を取り戻そうとする理由の一つに、もう同じ後悔はしたくないというものがありました。

 

過去・現在・未来が今・今・今として同時に存在しているのであれば、時間は過ぎ去ったり、失われるものではないので、悔やむ必要はないのです。

 

それなのに、過去や未来に対する後悔や恐怖の念がある。

 

それはむしろ出来事に対してではなく、時間に対して感じているのではないかと思うようになったのです。

 

時間を取り戻したい、時間が来るかどうか心配で恐れている、時間の概念やそれに対する執着があることに、次第に気が付いていきました。

 

例えば、何かの締め切りがある、期限があるといった形で時間には限りがあるような感じがしませんか。

 

そして、その時間の期限に間に合わせるために行動したりするでしょう。
 

期限に間に合いそうにない、その時にこう言いませんか?

 

『時間がない』

 

期限を中心に考えていれば、確かにそこに向けて時間を逆算します。

 

お昼の12時までに何かを仕上げないといけない時、今10時だったとして、あと2時間が期限、といった形です。

 

その2時間は、場合によっては、とても長く、まるで一生続くのかという風にも感じられるし、かと思えば一瞬で過ぎてしまったとも感じられるでしょう。

 

そして、2時間たった後も時間はなくならずあります。

 

時間という概念が始まったのは、産業革命が起因していると言われています。
 

それ以後は、今の仕事でもほとんどの会社が1日8時間勤務形態で、

 

時間=対価、を得るシステムになっています。
もちろん中には、

技術=対価、の場合もあると思いますが、雇用されている限り、
 

技術+時間=対価と言ったように、技術と時間の提供はセットになっています。

 

一日を24時間しかないと時間の概念で考えれば、
 

8時間寝て、
9時間は拘束されている、

ここまでで17時間ですが、
 

残りの約3分の1である7時間のうち、通勤などの移動、食事、準備に時間を費やせば、余暇や自分がしたいことに掛けられる『時間がない』という感覚もあるでしょう。

 

また1年を365日で考えると8760時間、
寝る+仕事=6205時間
残りの時間=2555時間

 

その概念で考えるうちに、一生の中で自分のために掛けられる時間は決して多くはないでしょう。

 

そのため、みんなコスパ、コスパと時間をあまりかけないで、すぐに何とかできる方法を探すようになったような気がします。

 

すぐに効果が出る!みたいなものが好まれるのはこれが理由でしょう。

 

なぜならその根底に『時間がない』『人生の時間には期限がある』という考えがあるからではないでしょうか。

 

また、日本人は、遅れることに対してとても厳しい面があります。

 

それはとても素晴らしいことですが、一方で時間に少しでも遅れる人や、時間通りに来なかった公共機関に批判するような場面もあるでしょう。

 

Time is money
 

人の時間を奪っているのだから、怒って当然でしょうと思われるかもしれません。

 

もちろん、怒りやいら立ちを感じることも一つの感情ですから、ダメとは思っていません。

 

ただそれよりも、怒りやいら立ちに時間を使っていることの方がよっぽど時間を奪っている行為だと思うのです。

 

また、怒りやいら立ちの感情は、時間に振り回されていることよって出てきていますし、それに反応してしまっていることにも気が付いていないのではないかと思います。

 

時間の使い方というのは、限られた時間内でいかに効率よく成果を上げるかということではなく、

 

出来事に振り回されないで、その一瞬、一瞬の時間をどれだけ楽しく、機嫌よく過ごしたか、ではないかと思うのです。

 

それに気が付いた時、長く抱えてきた不足感や恐怖の思いは、この学びに必要だったなと思うと同時に、これ以後、今この瞬間を機嫌よく楽しく過ごすことに目を向けるようにすればいいと思えるようになりました。

 

では、どうやって機嫌よく過ごすかというと、現実はともかく常に満たされた思いで生きることだと思います。

 

さらに、満たされた思いで生きるとはどういうことかというと、毎瞬毎瞬『ある』ものに目を向け続けることだと思います。

 

時間に遅れそうだ、それでもまた電車はくるとか、究極でいえば、自分には何もない、それでも命はある、といった風に、あるものだけを見るようにしていけばいいと思います。

 

幻を目を凝らして見ようとしても結構しんどいというか、だったらあるものを見て、常に喜びの時間を過ごしていればいいと思うのです。

 

それが最強のコスパです。

 

いかがでしたか。

 

時間について書くうちに、私も気づきや発見がありました。
時間は無限にあります。
 

いろんな出来事がすべて学びにつながっていたのだと、時を慈しむように生きたいと思います。

 

今日もお読みいただきありがとうございます!