今このブログはダイニングテーブルで書いています。私の向かいには子供達が遊びながらランチを食べています。(遊びながら食べているので、まだ終わっていない)。がやがやしていて集中できません。仕事もダイニングテーブルでするので、食事のたびに、テーブルに広がった書類やパソコンを片付けないといけません(涙)

 

2LDKの我が家は、ひとつの部屋はメインベッドルーム兼夫の書斎、もう一つの部屋は子供部屋。家族全員が家にいる休日は、私が静かに過ごせる居場所がありません。何でも願いがかなうとしたら、自分だけの部屋(書斎)が欲しい。。。

 

ついため息が出てしまいましたが、さあ、気を取り直して、Part4(完結編)を書きましょう。

 

友達かどうかは、私がその人のことを思い浮かべたときにほっこり温かい気分になれるかどうかで決めればいい、というのは、私にとっては画期的な考え方でした。友達とは、頻繁に会って一緒に過ごし、困った時はすぐに駆け付けてお互いに助け合うような(結構濃い)関係だと考えていたので、一人か家族と過ごす時間が大半の私には友達と呼べる人はいないと思っていました。

 

でも、ずっと会っていなくても、今後会うかわからなくても、その人のことを考えたときに温かい気持ちになれば友達。そう考えると、私には友達が結構いるかも。

 

もう長いこと会っていなくて、今後もずっと会わないかもしれないけど、FB等でゆるやかにつながっている友達。

 

私が年末に日本に戻れないと知って、神戸からわざわざ国際EMS便でふりかけ等を送ってくれた、神戸で知り合ったママ友(ふりかけはニジヤスーパーで売ってるけど、わざわざ送ってくれたその気持ちがありがたかった)。

 

年末年始に私が体調を崩したとき、インドのアユールベーダのお茶やお菓子を送ってくれたインド人の上司(上司だけど、彼女のことを考えると心がほっこりするので、友達でもある)。

 

ひいては、ありとあらゆる人達が発信している中で、私のブログを見つけて、継続的に読んでくれる人達。顔も名前も知らない、どこかの誰かが、私のブログを読んで共感してくれる。その人も私の友達だ。

 

こういう風に考えると、私には実はいい友達がたくさんいて幸せだ、と思えてくるのです。

人はみな、世界をありのままに見ているのではなく、自分のありのままに世界を見ていると、「7つの習慣」に書かれていました。人間は物事を100%客観的に見ることはできない、そこには必ず自分の主観が入ってくる、すなわち自分なりのストーリーを生きていく。であれば、自分が少しでも楽に、ハッピーになるストーリーを信じて生きるのがいい。だから私は、「その人を思い浮かべて心がほっこりすればその人はあなたの友達」ストーリーでいこうと思います。