久しぶりの更新でとんでもないタイトルをつけましたが、もちろん「叶わない」では終わらせません。
さて、ワタクシ事で恐縮なのですが、ここのところの経緯について少しお付き合いいただければと思います。
先日、過去の携帯メモを見ていたら、転職に理想の条件を書き出したページに辿り着いたわけです。
・クリエイティブ職
・文筆
・人の書籍はやりたくない
・記名記事がいい
・体裁がいい
・出社は週3程度
・6時までには帰りたい
・外回りがある
この項目を並べていたわけです。
そして気付いてしまったのです。
7月からリモートワークが解禁されて、出社はまさに週3程度。(もっと減らしてもいい)
しかも先日記名記事が出たばかり。
新聞社なので体裁は抜群。
で、取材やらリサーチやらで外回りもある。
なんと、全部叶っていたわけです。
何で叶ったのか、もう結論を書いてしまうと、
「願ってなかった」からなのです。
まず前提条件として、仕事に困っていなかった。
ここが出発点だったので、
「どうしてもこうならないと困る」という強い想いがなかったのです。
願いより全然軽く、「ただ書いただけ。ただ条件を並べただけ」こんな感覚で書き出して、忘れてたくらいです。
そして会社についても大して調べなかったんですね。
知ってるし、みたいな。会社のあれこれや、職種のあれこれをリサーチして、具体化したなかったわけです。
つまり夢を膨らませるようなことを一切しなかった。
例えば、転職を叶えたいなら、その会社に”出勤”してみるといいというセオリーもありますが、逆効果な場合もあります。私がこれをやっちゃってたら多分落ちてたと思います。(合う合わないがあるので、あったやり方を選んでくださいね)
なぜなら、期待値が上がって「願い」になってしまうから。
願いというのは、叶ってないから願いなのです。
願えるのは、叶ってないから。
言い換えると、願っている限り叶わないのです。
※「叶っていない」状態を固定化するのが「願う」ことなのです。
叶ったらこうやって通勤するんだ、って思いながら通勤経路を辿ってみる。ああ〜仕事楽しみだなぁ!こんな会社で働いてるわたしステキっ!って……
こんな特別なキラキラした感覚で通勤すると思いますかね??
叶っている今の現実において、そんなキラキラしながら通勤なんてしないですよね。
「無」ですわ。
「ああ〜行きたくないなぁ」とは思う。w
現実ってそんなものなのに、叶った後を特別なものとして想像しすぎてズレてるわけです。
結局、叶ってしまえばそれが日常だから、特別な意識はないわけです。
うっれしぃ〜!!って思いながら通勤しません。
初日でさえ、うれしさじゃなく不安。日常になれば、通勤という面倒臭さ。これが叶ったっていうこと。
私はこの仕事に関して、先にも書いた通り、「なにがなんでも転職を成功させたい!させねば!」っていう出発点ではなく、「決まるのがいいとも限らないんだよね」っていう姿勢でした。
だって決まっちゃったら大変だから。
ホメオスタシスが働くので、人間にとって、変化自体が一苦労で大きなストレスなんです。
良かれ悪しかれ、慣れるまでは変化に伴うストレスは避けられなかったりするわけで。
と、こんな感じで全然願ってはなかったのです。かなり現実的。
仕事が決まったらランチはここに行って〜とか、夢を膨らますなどは一切しなかった。
後から思うと、こうやって夢を膨らますと、「願い」にしてしまうので、やらなくて正解だったなというわけです。
現実になっちゃったら、それはそれで大変だぞという「逃げ腰」な姿勢が成功の秘訣だったわけです。
逃げ腰なつもりが、波動的に、叶えた私になっちゃってたわけです。
叶うかどうかの思考をすっ飛ばして、叶った前提の思考領域に入っちゃってたんですね。
はからずも、叶えたい私の波動じゃなくて、叶っちゃった私の波動になっちゃってたわけです。
叶ったらちょっと困るなぁ〜大変だなぁ〜、っていう。
面接で、めちゃくちゃしくじったんですけど、その時も「まぁーいいや」って思ってました。
そもそもが「決まればいいってものじゃない」っていう考えなので、「決まらない方がいい場合もある(自分が苦しむことになる可能性がある)、だから決まらなかったら縁がなかったってことなんだよな。
逆に言えば、どんだけとちろうが、決まるものは決まるからね」
って思って昼寝してたら内定の連絡がきたわけです。
完全に手放し状態。
これって、波動的には先に「なる」「なっちゃってる」の状態になっちゃってたんだと思います。
美輪明宏さんのような気迫をもって、「なれぇいッ!」って念じるのは、叶ってない波動域の感覚ですよね。
なのでお伝えしたいのは、
叶えたい願望に対して、この姿勢になってほしいということです。それを願望として扱うのを今この瞬間からやめてほしいのです。
願望として、願っている限り叶わない。
願うから願望のまま。
願望と現実の波動は明確に違います。
願うことが現実化を遠ざけている。
これだけなんです。
本願ほど叶いにくいのは、期待が積もり積もって願望になるから。大して期待してないことほど叶いやすい。
よくアイドルのオーディションで、付き添いの友達がスカウトされるみたいな話があるじゃないですか。
あれに似てますよね。
ガチでアイドルになりたいって願っている本人は叶わないのに、それに対して熱意のない友達がスカウトされる皮肉。
なりたい!なりたい!って熱くなりすぎている時は要注意。
こうなったらいいけど、なったらなったで大変なんだよね。だからどっちでもいいや。っていうスタンスがおすすめです。
願いを願っているうちはキラキラして見えるものだと思うんですね。
そのキラキラに目を奪われて”ああ〜ん、絶対にこうなりたぁ〜い!”っていう、叶っていない波動域だから、キラキラして見えるんです。現実化したらゴタゴタです。
そのキラキラにフォーカスするのではなくて、現実化した後のゴタゴタを既に見ちゃうんです。それは叶っている波動域のものですね。
私の転職でいうところだと、叶った後の仕事の重圧を先に見ている状態。
現実=日常なので、そんなキラキラしたうれしい気持ちでもないわけです。叶ってる波動というのは、案外現状と変わらない気分なのです。
リモートワークが解禁になったら本当極楽だろうなって思っても、いざリモートとなると、ダラダラしてしまう罪悪感でいっぱいで、全然極楽じゃなかった。現実はこんなものだったりするわけです。
”願望が叶ったらキラキラなのに”って今の日常と全く別次元のものとして切り離して考えると叶わないっていうことです。まさに別次元だから。
「なれるかな」じゃ、ないんです。
「なりたいな」でも、ないんです。
「なっちゃった」なんです。
この領域での思考をあてる先は、
なっちゃったからどうしよう……なのです。
(それはそれでダルイ面もあるぞ って気づいているのが現実化に違和感がない状態です)
願いと現実の違いを明確に理解していれば、腑に落ちると思います。願いの波動と現実の波動は違います。
間違っても、「叶ったら最高なのに!」って今の現実と切り離さない事です。
繰り返しますが、
叶えるぞって意気込んでいる状態は叶っていない状態を再生産します。
現実に叶っていたら、願えないのです。
それが叶いますようにと願えない状態、それが現実化です。
それを願いにしちゃってるから叶わない。
すごく単純なことだったんですね。
なので、願うのは金輪際やめ!!
既に叶っちゃってるので、願えないのです。