身体は実に様々な情報を持っています。


昨日、ふと猛烈に
サイゼリアのピザのダブルチーズ
が食べたいと思いました。


サイゼリアのピザっておいしいけど、
良くも悪くも安定の味で
是が非でも食べたいと思う程でもない。

近所のサイゼリアは潰れたので
行くなら、
わざわざ電車で寄り道しなくてはならない。


正直そんなに、
わざわざ食べに行く程ではない。

でもこんなに食べたいのはおかしいと思って、
わざわざ食べに行ってみたのです。


何が起こるのか見てみたくて。


サイゼリアのピザは想像通りの味です。
想定内。

完食する前に、
お腹いっぱい。

なのでさっさとお会計して
帰路につきました。


んーー、何だったの、これ?
と謎のままでしたが、


地元の駅につき、
商店街のモールを歩いていると
マツモトキヨシから会いたかった人が
ひょっこり出てきてのです。


3秒ずれてたら
人波に紛れて見失ってた。


要は、時間調整の為の
サイゼリアのピザだったという訳です。
近所のピザ屋じゃダメだったのです。
小エビのサラダでもダメ。
ダブルチーズの温め時間が必要だったのです。



身体は情報を持っていて、
何なら頭で思考するより
身体の方がずっと賢い。

言い換えると、
何の根拠も合理性もない『欲』に従う

これをやり始めると、
なんか都合の良い、
面白いことが起こるよということです。



直感っていうと
少し漠然としてるかも知れないので、
『欲』と表現したんですけど、

我ながら、言い得て妙だと思います。



極端な例ですけど、
『性欲』

性欲が湧いたときに、
多くの場合には抑えますよね。

ちゃんとステップを踏んでとか、
社会通念とか良識とか。

それは勿論大切な事なんですけど、


友達以上恋人未満の状態で、
駆け引きとして性欲を封印する
のは、考えもの。


性欲を封印する正当っぽい理由は
いくらでも出てくるわけです。

でもそんな時に、
敢えて何の根拠も合理性もない
性欲に従ってみる。

これは煮詰まった人生に
大きな風穴を開ける起爆剤になります。

『そんなのダメよ、いけないわ』
などと、欲を抑えがちな人ほど
案外業が深い!笑

エネルギーが重すぎるのです。

思い切って発散してみるのも
いいかと思います。


貞節な淑女みたいなタイプ、
あるいは恋愛マニュアル熟読派が、
良識やら駆け引きの為に性欲を封印して、
恋愛がうまくいかないどころか
拗らせまくっているみたいな事があります。


最悪、
大事に大事にとっておきすぎて
使えないまま終わります!


心当たりがおありの方は
自分の心に『それでいいの?』
って問うてみて下さい。


こんなこともよくあります。

性を勿体ぶっている割に全然愛されていない
とか。


逆に、
性に奔放な人が恋愛が上手くいっていて
ちゃんと愛されているとか。



貞節な人が、やり捨てされて不幸。
軽い人が、ちゃんと幸せ。

こういうことはよくあります。


この根本的な違いが
どこから生まれているかというと、

性行為すると自分の何かが減ると思っていて
女性である自分が与えると思っているのか、

性行為をすることで自分が何かを得ると
思っているかの違いです。

得るものは物理的なものや、
彼女という立場とか、
そういう事ではなくて、
エネルギーの話です。

性行為するとエネルギーが減る(取られる)と思っているか
性行為するとエネルギーが増えると思っているかのちがいです。

自分も性欲を解放できるので、
その時点で得ている。


やられちゃった感(被害者意識)か
やってやった感(楽しくてご機嫌)かの違い。


このような考え方ができると、
性に対するエネルギーが軽く、
気持ちのよいものとなります。

都合のいい女だから、、、
みたいな卑屈な考えにもなりません。

なぜなら、
しっかり得ていることを理解しているから。




欲を解放せず抑え込んだまま
人生が終わったら、
きっと死ぬ時に後悔すると思います。
 

自分でしっかり選ぶんです。
そして、自分が楽しむのですニコニコ飛び出すハート


許可ですよ、許可。



欲望に対して軽やかになるのも
人生を好転させるテクニックです。


自分のニーズを第一優先にしていれば、
外側の現実も他人もそれに呼応するのです。

自分のニーズを無視して
他人に尽くせば
愛されるのかと言えば、
絶対愛されませんし、報われません。

愛されたければ・
よりよい現実が欲しいなら、
他人より自分のニーズを優先するのです。

自分本位でいきましょう〜!!