ここに「ない」ものは、手に入ら「ない」
なので、
今ここで欲しいもののエッセンスを見つけ出してそこに意識を集中させることができれば、それは必ずそのうちに現実の中に現れてくる。
例えば自分の容姿が気に入らなかったとします。
ここが気に入らない!と言い続ける限り
ずっと気に入らない容姿のままです。
どうすればいいのかと言うと、
自分の容姿の気に入っているところを無理矢理にでも見つけ出す
ことです。
絶対に何かはあるはずです。
例えば、
顔の造作は気に入ってないけどお肌は綺麗!とか、
ほか全部好きじゃないけど髪は綺麗だな!とか、
指が細くて長くて綺麗!とか、
足が細くて好き!とか、
足が長くて好き!とか、
足の形が好き!とか、
二の腕が綺麗!とか、
顔の作りそのものではなくてもいいので、
外見的な要素で好きなところを見つけ出して下さい。
そして意識をそこに集中させる。
間違っても、嫌なところに意識を集中させない。
この鼻が嫌い、低くて丸くてデカくてニンニクみたいで本当嫌だ!醜い!嫌い!ってやらない。
これをしちゃうと変わらないどころか、その嫌な点が強化されるだけです。
嫌な点は見ない。
これがめちゃくちゃ大事です。
それより眉毛がめっちゃ綺麗とか、
目が丸くてかわいいかも?とか、
最初は自信なくてもいいので
もしかしたらこれって長所なんじゃないの?っていう見方をしてみてください。
そして美しいなと思うところを探す。
ないはずないんです。
気に入ってるパーツを探しだす。
足首とかでもいいんです。
この足首なんて美しいんだろう。
これは自慢パーツだな、よし見せびらかそうって
まずは自分で惚れ惚れする。
自分の推しパーツを見つけ出して
ここ、なんて美しいの〜!って褒めてなでなでする。
そこまでノレなくても、
感情が乗らず事務的でもいいのでとりあえず推しパーツを見つけ出してください。
”強いて言えば”指が長くて綺麗だな。とかでもいいんです。
大事なのは”強いて”挙げること。
それが望む創造を始める入り口になります。
気に入らないパーツを見続けて「ここが嫌だ」っていう限りは変わりませんが、
気に入るパーツを強いて見つけ出して「ここが好き!ここが綺麗」って思い始めると変わります。
これは容姿についてだけではなく
望む変化を起こしたい全てのことについて同じやり方です。
もっと”いい”家に引っ越したいなら、
今いる家の”いい点”に強いて注意を向ける。
もっと”いい人間関係”を築きたいなら
今ある人間関係の”いい点”に強いて注意を向ける。
意図的な現実創造で本当にすべきなのは、
強いて肯定的な側面を見つけ出す思考調整です。
大体反対のことをしています。
もっといい家に住みたいと思った時、
今いる家の悪い点に意識を集中させて、
狭いから引っ越したい!
不便だから引っ越したい!
ボロいから引っ越したい!
と引っ越したい理由を正当化する悪い点に注目します。
それは逆効果。
あの上司がムカつくから転職したいと思った時、
その上司の悪い点に意識を集中させて、
いつも意地悪ばかり言って私の邪魔をする、
だから転職したい。
自分はその上司のせいからこんな不当な扱いを受けているということばかり
考え続け、語り続け、だから転職したいんだと言う。
容姿も同じ。
この一重の目のせいで私はモテない。
友達ばっかりチヤホヤされて私はいつも無視される。
友達も私を引き立て役にしてくる。
この目のせいで。
だから整形したい。
こういう「ない」を起点にした現実創造では
整形しようが、やはり「ない」現実になりがちです。
一旦は整形して理想の目になって喜んだけど、
次はあっちもこっちもって次々整形にしてしまうとか。
それは容姿の造作の問題というより、心の問題なんです。
モテるために整形したいという場合は特に注意が必要です。
モテという外側の承認を得ることで
自分のことを愛せるようになると思っている場合は、逆です。
自分のことを愛するから、外側からモテるようになるんです。
こんな自分になったら自分のことを愛せるようになるのにというのは幻想です。
外側をどう変えようが、ここにないものはないんです。
今の自分をそのまま愛すると外側の承認が必要なくなります。そうすると漏れなくモテるようになる。
だからまずは自分にモテることが大事なんです。
そしてそうなると、コンプレックスだった鼻を好きになるという現象が起きてきます。そのままなのに、人から「かわいい」と言われるようになったりします。
余談ですが、
ケイト・モスは斜視で浮浪児と言われてましたが、その斜視とあの雰囲気があって大成功しました。
斜視はコンプレックスになる場合もありますが、斜視で美しい人はいくらでもいます。日本の芸能界でも沢山いらっしゃいます。とても魅力的です。
でもその人が自分のことを斜視で醜いと思って常にその波動を強化していたらそうはなっていなかったでしょう。コンプレックスにするか魅力にするかはその人の思考のフォーカスのポイントが、ポジティブに働いているかネガティブに働いているかの違いです。
しかし、どうしてもポジティブには捉えられないものがあったとしたら、、、ネガティブな見方も実は全然悪いものではありません。
「これが嫌だからこうなりたい」と思うおかげで、自分の望みが明確化するからです。
ただし、自分の望みが明確になったら、その嫌な思いはもう必要ありません。
いつまでも恨みがましく「これが嫌だから私はこれが欲しいんだ」と語り続けると、望みの現実化が妨げられてしまいます。
例えば、
「私は家が貧乏ですごくいじめられて辛くて苦しかった。だからお金持ちになって見返してやるんだ」
という願望があったとして、
お金持ちになりたいという望みが明確になった時点で、悔しさなどの惨めな思いは手放す。なぜならその嫌な思いは役割を終えたから。半壊遂げたから。
それをいつまでも悔しさや惨めさにフォーカスしているとお金持ちになるという願望の実現を邪魔します。
なぜなら波動が全然違うから
こんな惨めさがあったからお金持ちになるぞって願望が湧いた、ありがたいって思ったらそのストーリーはおしまいです。新しいストーリーを始めたいのに、古いストーリーを語り続けると変わりません!!
時折人は、
辛い思いに対してお天道様か形而上的な存在が
「大変だったね、そんなに頑張ったんならご褒美として豊かにしてあげよう」って報いてくれると考えて、辛い思いを持ち続けようとします。
私はこれだけ苦しみ頑張ったんだからご褒美をくれるでしょ?と。でもそうはならないんです!
これだけ頑張ったんだからって言い続ければ続けるほど頑張らなきゃいけない状況が増幅されます。
「苦しんだから報われる」という因果律は成立しません。
なのに、まだ苦しみが足りないのか?と考えて、苦しみを求め、苦しんでいることをアピールする。そうすればいい加減報われるんじゃないかと期待して。
でも苦しんでも絶対報われません。
逆です!
楽しんだら報われます。喜んだら報われます。
どんな状況であろうと喜べるか楽しめるか、
そこにポジティブな側面を見出せるか、なんです。
不幸話を続ける限り一生不幸です。
不幸だと思う状況で、どれだけ幸せを見つけられるか。そうやって見つけ出した幸せの分だけ報われます。
ポジティブな側面を見つけましょう。
あなたの外見の美しいところは?
あなたの内面の良いところは?
仕事の良いところは?
人間関係で恵まれている点は?
家のお気に入りのところは?
生活の中で楽しめていることは?
おいしかったものは?
うれしかったことは?
地球にうまれてよかったなと思うことは?
今までの他人からもらった褒め言葉は?
何十年前のことでもいいので、
喜ばしかったことについて意識を向けてください。
喜びに有効期限はありません。
20年前に知らない人が傘をくれたな
30年前にクラスメイトからチョコをもらったな
10年前に告白されたな
1週間前にイケメンがドアを押さえててくれたな
これまでの人生で喜ばしく誇らしかったこと、
思い出していい気分になることは絶対あるはずです。
そしてまた、どんな小さなことでもよろこびに敏感になってください。
実はあなたに向けられている親切や優しさ、
あなたに寄せられている好意的な視線などに
もっともっと気付いていってください。
駅で足を踏まれたことより、
会釈しながら避けてくれたこと、
控えめながら席を譲ってくれた人がいたこと、
そういうことに気付いていってください。
嫌だったことは平気で何十年も語り続け、
時折思い出しては昨日のことのように涙し怒りに震える絶望に打ちのめされるのに、嬉しかったことは昨日のことでも忘れてしまう。思考をポジティブな方に向ける訓練をしなければこれが普通です。でもこれをやってると意図的創造はできません。
嬉しかったこと、良かったこと、楽しかったことなどに思考を向ける訓練をしてみて下さい。
そしたら必ず変わります。
まずは波動が。
追って現実が。
現実を変えようとするより
思考を変えることを目的にしたほうがいいです。
良いことを考えるのは
嫌なことを考えるよりも
ずっといい気分でいられる。
まずは気分良くいられる時間が増えたことに満足して、現実化を急がない。
現実化を急ぎ「なんで変わらないの!」と言い始めると、途端に気分が悪くなって、意図的な現実創造の流れが滞ってしまうので、やるべきことはただひとつ!良い気分でいられる思考を極力続けることです。
