前回記事を補完する内容となってます。

さて、根深い不安感に苛まれがちな人。
不安や心配は抵抗感の最たるものです。

不安になる
心配になる
そのような問題(トピックス)と向き合わないようにするのが、まず抑えておきたいポイントです。


​  問題とは向き合わない  

向き合ってる周波数と解決してる周波数は違うので、
向き合ってるとどっぷり沼る。


ただ、ここで問題と向き合わないと言うと、
頑張って問題を無視しようとする。
しか〜し、ここ誤解しがちなんですけど、
問題を意識から消すのは無理なんです。
考えないのは無理。

無にするのは無理なので、別のことを考えましょうっていうのが前回の内容でした。

それでも不安の周りをグルグルして不安に戻ってきてしまう。という場合にオススメなのが、、、

気楽になる考えをピックアップしていく

ことです。


例えば、

過敏性腸症候群の人で電車に乗るのが怖い。


そんな場合には、気楽になる思考をこんな具合に書き出していきます。思考の方向性を気楽に合わせていきます。

・各駅停車に乗ろう
・トイレが付いてる電車があるか調べよう
・トイレの場所を把握しておこう
・5分我慢するのは大丈夫そう
・何度トイレ下車してもOKなように早目に出よう
・何ならオムツしとこう
・まぁそれでも最悪うんこ漏らすだけだし
・死にゃしない
・通り過ぎればネタになる

(逆に気分が悪くなるようであればそれは却下です)
考えて10個くらい書き出してみましょう。


そしてまず、このような神経性の症状は多くの先人がいますし、直るので安心して下さい。エルム街の悪夢を自分でチョイスしてるだけなんだということを念頭に置いて置いてください。


より広く大きな視座に立ってみると、誰かがうんこ漏らさそうが他人からしたら別にって感じのことなんです。

そんな後生語りつぐような事でもないし、何ならプッと笑うだけ。意地悪く笑われようがそんなの関係ないんです。意地悪はその人がディスアラインしてることが問題なのであって、あなたの在り方とは無関係です。
 

「他人からバカにされたら死んじゃう」とか、
「私のセルフイメージを保たなきゃ」とか、
他人の目を借りて自分の首を絞めるのをやめましょう。他人から愛されなかろうが死にません。それに、結局自分の心を安心させられるのは自分自身しかいません。他人の承認の上に人格形成するといつまでも不安です。いらないプライドは捨てましょう。


醜形恐怖症などは、こんな私では愛されなくなってしまうという自己無価値感に根差した恐怖なのですが、
こんな私を愛さないのは他ならぬ私自身なんです。
こんな私も愛しますという自分自身への誓いの力強さが安心感です。そして又、不要に自分を苦しませないことも愛です。


悩んでいる姿は、人間味があって愛すべき存在だと再確認させてくれるものでもあるので、そういう自分を許しましょう。

完璧じゃなくて当然です。
不完全さも含めて完全なんです。

変なプライドや自意識を捨てて、どんどん気楽になる考えをしていきましょう指差し

仮に、じゃあ心療内科行って薬飲もうっていうのが気楽になる考えなら、それ即採用!です。

抗不安薬のような薬に頼る事に罪悪感を持つ必要はありません。
この薬で気楽になる〜って思うのは、気楽への許可を下すための一つのツールや象徴として薬を利用しているだけなので、何の問題もありません。

この薬を飲むことによって依存性が〜とか、もっと心身が害される〜と思っている場合は実際にその通りになりますので、薬についてもご自身の気楽さを一つの基準にしたらいいと思います。

病気、disease
はease(気楽)さを無くすことです。

どんな場合も、どうしたら気楽になれるかを考えていくと出口が見つけられます。


薬の依存性が〜と思うんだったら、それなら一生飲むからいいわ!と開き直る。こんな心の持ち用も気楽さだったりするので、自分の気楽さをどんどん探っていってみてください。そうやって無価値感やら罪悪感やらを捨てて気楽になっていくと、いつの間にか直ってる、、、ってなってきます。
そしてどんな症状が出たとしても、決して自分を責めない。不完全さを含めて完全であり愛すべき存在です。そして、いつも成長の途上です。一皮剥けるために抵抗が噴出しているだけです。どう生きたいか決意する時が来てます。



    

不安を消そうとすると
燻って燃え上がります。

だから違うことを考える。
それでもダメなら、
じゃあどうしたらその不安が
少しでも和らぐかを考える。



このコンボが不安の取説です


ここを早くクリアしておくと後が楽です。


気分良くいたいのか
気分悪くいたいのか

この2つに1つの選択。
どっちで生きるかを決意するチャンスです。


気分良くいたいって決意したら、気楽になる思考や行動をしていくのみ。問題に突っ込んでいって戦うのではありません、気楽さに突っ込んでいくんです。頭を突っ込んだ方向が全然違うのイメージできますでしょうか!?問題ではなく、解決に突っ込むんです。



diseaseが問題の周波数です(苦しい・不一致)

easeが解決の周波数です(気楽・一致)


どうにかしなきゃはdiseaseに向かってる思考です。

(狭まって追い詰められ閉じ込められているようなエネルギーです)

どう感じていたいかはeaseに向かってる思考です。

(広がってほとびらかしていくようなエネルギーです、メタ認知など色んな見方ができる状態)



「気楽になる考え」がいつも導いてくれます!



あとですね、
嘔吐恐怖症で、人前で吐いちゃったらどうしようって不安に慄いている場合。

ちょっと想像してみてください。
人前で吐いちゃった場面を。

おお怖い怖い、気分悪い、、、やめてぇ〜!
ってなると思います。
その時感じる惨めさや自己否定や自己無価値感が怖い。。。

吐いた自分を皆んなが見ています。
顔をしかめ口を覆い、ひそひそ言っています。

さてこの場面を想像した時に、
「そういう目で見られている私」ではなく、「そういう目で見ている人がいるな」という認識の仕方をしてみて下さい。
俯瞰するわけです。ニュートラルな場所から観察する。これが人の目を取り込まない技で、人のエネルギーを自分に流し込んでしまい影響を受けるのを防ぐ方法です。

グサッとかウッとかではなく、
へぇ〜で受け流す技です。

こういった場面を自分への価値判断や評価として受け取るのではなくて、この人こういう感じのリアクションするんだって観察する場面にしましょう。