なんか相当数、学生時代の勉強で挫折して挫折感を抱えている人たちと会ってきた。
まず父親
父親は、最終学歴中卒
JAで勤め上げたが、やはり大卒以上が出世していくような状況があったらしく
相当コンプレックスに思っている様子があった。
がいつも思うのは
父親は、頭悪くない
むしろ、話していて聡明だなぁと思う。なぜ学歴でそんなにコンプレックスを感じてしまうのか
口癖が、私バカだからという女性もいた。
高校時代に、赤点取ったことがあるかららしい。
高卒で、木材加工の会社に勤めて10年以上たつらしい。
日給月給で働いている
ただなんていうかまぁ思うのは
学生時代の勉強云々くらいで、自分自身にバカのレッテルを貼ったりだとか、自分の可能性を狭めてしまうのはもったいないなぁと思う。
学生時代の特に高校までの勉強とか、特殊科目だ。
学びだとか、学習の本質とはまた別のところにある、点取りゲームみたいな特殊科目なのだ。
学校という場で行う集団生活にしてもそうで
相当偏った特殊科目だから、人間の生きる力とはまた違った 一つの歯車になるゲームなのである
そんあなゲームをやっているのだから、馴染めない人を除外したりだとか、外したりなんていうことは普通におこりえるに決まっているのである。
いじめなんてのも、そういうことが起こるようなやり方をして子どもにそういう価値観を植え付けているのである。
どうしてこんなことが起こるって、わざわざそういうことが起こりそうな状況を自分たちで作っているんだから起きてなんの不思議なこともないのである。
だから、学生時代までの経験で、劣等感を持ったり、あるいは優越感を持つのもどちらも間違っている。
特殊ルールの特殊な環境なのだから、人間の生きることの本質にはあまりかすらないのである。
そういったことに気づける人が、聡い人で、子どもにも良い教育ができるんだろう。
特殊ルールの中で勝ち上がれるようにと子どもに教育を施そうとする人は、もれなくアホであるし、子どもの心に限界がいずれくるだろう。
例えば海外の有名大学に合格するような子どもの親は、特殊な世界を一つの小さな世界としてみることができる視野の広さを持つだろう。