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完全休養
2006年5月10日午前9時頃
大学を卒業して1ヶ月、同じ大学に入り直すみたいな感じで、教員免許を取り始めた俺は(当時は大学で陸上したかっただけ)、その日もバイクで学校に向かっていました
が、出発5分後、めんどくさそうなお兄さんが乗る無保険のBMWと正面衝突しました
俺は100ccのスズキのV100に乗っていました

V100のハンドルやタイヤはグシャグシャ
BMWはフロントガラスが蜂の巣状態
俺はBMWに突っ込んだあと空を舞ってBMWの後ろに着地しました
そんなに痛くないのにお兄さんが怖かったので痛い痛いと叫んでたのを覚えています
お兄さんはガチギレしつつも、俺にお茶を買ってくれました
*画像はイメージです
数分後、救急車とパトカーがきました
おまわりさんに『ヘルメットしてなかったら死んでるよお君い
』と言われました
いつもは帽子みたいにヒモもしめずにヘルメットをかぶっていたのに、その日は風がきつかったのでたまたまヒモをちゃんとしめて運転いたのでした…
俺の靴はちゃんと履いていたにも関わらず、両方脱げて片方は行方不明になりました
その後、病院に運ばれてノウシントウで一泊入院しました
でも外傷は特にありませんでした
…
俺は生まれてから大学を卒業するまで人との関わり方があまりわかっていませんでした
自分だけ都合よくいければいい
生きていれば十分
陸上がよければ全てよし
そう考えていました
だから、友達になれていたかもしれない同級生達と喧嘩をしても謝ることや自分の気持ちをはっきり言うことをせず、ずっと気まずい関係のまま卒業して何十人も別れていきました
特に小学校中学校は、連絡先を知っているやつ0です
大学も4年間陸上部の寮に住んでいて本当にお互い信頼できる仲間は1人もできませんでした
しかしこの交通事故から人との関わり方が変わってきました
…
退院して数日、事故の過失割合について保険屋と連絡をとることが何度かありました
俺はバイク保険に入っていたので、バイクは帰って来ないが\4000の支払いで終わり(後に慰謝料で\5万と大学から\3~4万入りました)
BMWは走行不能の全損で、相手のお兄さんは保険に入ってなかったため、約\20万の負担
お兄さんはこれを不服とし、保険屋と俺に鬼電をかけてきました
ひどい時は1時間に着信が俺の携帯に50件ぐらいくることもありました
保険屋の人には「交渉がややこしくなるから、ご本人同士でのお話しは絶対やめて下さい」
と言われていた為、一切電話には出ませんでした
とりあえず怖くて病みました
お互い住所も知っていたので、この勢いならアパートに乗り込んで来てもおかしくなかったからです
バイクが無いから後輩に原付借りたり、歩いて学校行ったり、なんか後から膝が痛む時もあったり、またお兄さんから電話あったり
日々病みました
でもそんな時、出会いがありました
俺と同じ様に、大学を卒業して教員免許を取りに来ていた応援団リーダー部の渋谷君と出会います

彼は病んでいた俺を、スーパー銭湯や、хх族のOB会に連れていってくれたりしました
周りは大学1年生ばかりのクラスに入りましたが、授業や実習も2人で協力してアウェイをホームに変えました
(俺はこの時、年下の人間と仲良くなるすべを身につけました。後に渋谷君は田舎町のホストクラブの店長になりますた
)
もう1人、寿司屋のバイトで知り合った伊藤君にも助けられました

毎日の様に心配してくれて、俺が元気が無い時は心霊スポットやх翼の飲み会に連れていってくれたり、話を聞いてくれました
(今年7月に東京に行った時に2週間泊めてくれたのが伊藤君です)
こんな俺を助けてくれる仲間がいる…俺は幸せやな…
そして2人のおかげでいつの間にか病んでいたことも忘れ、次に自分の周りに目がいく様になります
今までどれだけ人を傷つけて裏切ってきたかもわかりました
病んでるやつがいたら俺が話を聞いてやらないと…
そう思う様になります
2006年は陸上以外で一番の思い出の1年でした
初めて友達と呼べる仲間ができて人の気持ちは少しはわかる様になって
周りからの自分に対する接し方も全く変わりました
今まで陸上部の練習中はほとんど誰ともしゃべらなかったのに、後輩から『おぎさーん!聞いてくださいよー
』っとはなしかけられたりする様になりました
毎日が楽しくて新鮮で、今までの自分が損していたことがよくわかりました
今では、交通事故してしまったこと、あの怖いお兄さんに感謝してます

わら
*画像はイメージです
完全休養
2006年5月10日午前9時頃
大学を卒業して1ヶ月、同じ大学に入り直すみたいな感じで、教員免許を取り始めた俺は(当時は大学で陸上したかっただけ)、その日もバイクで学校に向かっていました
が、出発5分後、めんどくさそうなお兄さんが乗る無保険のBMWと正面衝突しました
俺は100ccのスズキのV100に乗っていました

V100のハンドルやタイヤはグシャグシャ
BMWはフロントガラスが蜂の巣状態
俺はBMWに突っ込んだあと空を舞ってBMWの後ろに着地しました
そんなに痛くないのにお兄さんが怖かったので痛い痛いと叫んでたのを覚えています
お兄さんはガチギレしつつも、俺にお茶を買ってくれました
*画像はイメージです数分後、救急車とパトカーがきました
おまわりさんに『ヘルメットしてなかったら死んでるよお君い
』と言われましたいつもは帽子みたいにヒモもしめずにヘルメットをかぶっていたのに、その日は風がきつかったのでたまたまヒモをちゃんとしめて運転いたのでした…
俺の靴はちゃんと履いていたにも関わらず、両方脱げて片方は行方不明になりました

その後、病院に運ばれてノウシントウで一泊入院しました
でも外傷は特にありませんでした
…
俺は生まれてから大学を卒業するまで人との関わり方があまりわかっていませんでした
自分だけ都合よくいければいい
生きていれば十分
陸上がよければ全てよし
そう考えていました
だから、友達になれていたかもしれない同級生達と喧嘩をしても謝ることや自分の気持ちをはっきり言うことをせず、ずっと気まずい関係のまま卒業して何十人も別れていきました
特に小学校中学校は、連絡先を知っているやつ0です
大学も4年間陸上部の寮に住んでいて本当にお互い信頼できる仲間は1人もできませんでした
しかしこの交通事故から人との関わり方が変わってきました
…
退院して数日、事故の過失割合について保険屋と連絡をとることが何度かありました
俺はバイク保険に入っていたので、バイクは帰って来ないが\4000の支払いで終わり(後に慰謝料で\5万と大学から\3~4万入りました)
BMWは走行不能の全損で、相手のお兄さんは保険に入ってなかったため、約\20万の負担
お兄さんはこれを不服とし、保険屋と俺に鬼電をかけてきました
ひどい時は1時間に着信が俺の携帯に50件ぐらいくることもありました
保険屋の人には「交渉がややこしくなるから、ご本人同士でのお話しは絶対やめて下さい」
と言われていた為、一切電話には出ませんでした
とりあえず怖くて病みました
お互い住所も知っていたので、この勢いならアパートに乗り込んで来てもおかしくなかったからです
バイクが無いから後輩に原付借りたり、歩いて学校行ったり、なんか後から膝が痛む時もあったり、またお兄さんから電話あったり
日々病みました
でもそんな時、出会いがありました
俺と同じ様に、大学を卒業して教員免許を取りに来ていた応援団リーダー部の渋谷君と出会います

彼は病んでいた俺を、スーパー銭湯や、хх族のOB会に連れていってくれたりしました
周りは大学1年生ばかりのクラスに入りましたが、授業や実習も2人で協力してアウェイをホームに変えました
(俺はこの時、年下の人間と仲良くなるすべを身につけました。後に渋谷君は田舎町のホストクラブの店長になりますた
)もう1人、寿司屋のバイトで知り合った伊藤君にも助けられました

毎日の様に心配してくれて、俺が元気が無い時は心霊スポットやх翼の飲み会に連れていってくれたり、話を聞いてくれました
(今年7月に東京に行った時に2週間泊めてくれたのが伊藤君です)
こんな俺を助けてくれる仲間がいる…俺は幸せやな…
そして2人のおかげでいつの間にか病んでいたことも忘れ、次に自分の周りに目がいく様になります
今までどれだけ人を傷つけて裏切ってきたかもわかりました
病んでるやつがいたら俺が話を聞いてやらないと…
そう思う様になります
2006年は陸上以外で一番の思い出の1年でした
初めて友達と呼べる仲間ができて人の気持ちは少しはわかる様になって
周りからの自分に対する接し方も全く変わりました
今まで陸上部の練習中はほとんど誰ともしゃべらなかったのに、後輩から『おぎさーん!聞いてくださいよー
』っとはなしかけられたりする様になりました毎日が楽しくて新鮮で、今までの自分が損していたことがよくわかりました
今では、交通事故してしまったこと、あの怖いお兄さんに感謝してます


わら
*画像はイメージです