いわゆる「キラキラネーム」についての議論がされているようですね。


つけられるのであれば、なるべく早い年齢でこども本人の意思で改名出来る様にしてあげてほしいものです。


名付けの権利とでもいうんですかね?


子どもが改名の意思を、周囲の大人(例えば担任の先生も含め)に表示したら、速やかに手続きを行わないといけないぐらいにしてあげて欲しいです。


もちろん何でもかんでもOKにするわけにはいかないでしょうけど。


「光宙」は突飛すぎますが、漢字を見ただけでは何と読むかわからない名前や、外国語や海外の人名に由来する名前、大喜利かしらというようなひねりの効いた名前をよく見かけます。


多様性万歳の時代なので、表立って「変な名前!!」なんていう人はそう多くは無いとは思いますが


自分の名前を書くと

「えーと、何で読むのかな?」

と、毎回聞かれることを煩わしいと思う子もいるでしょう。


名前を名乗ると、相手が一瞬ギョッとしたり、薄く笑ったりするのを見逃さない子もいるでしょう。



そういう小さなストレスが降り積もった時に何が起こるのか、自分だったらどうかを名づける側が想像できるといいのですがね。


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「尊氏と正成 利生の人」 天津 佳之



昔、サンタクロースがくれた「日本の歴史」のマンガセット。


作者の好みか何なのか、やたらとカッコ良かったり美人に描かれる人物が何人かいます。

(反対に美人だけど歴史的には「悪女」とされる人はなんか性格悪そうに描かれていたり)


とりわけ、かっこよく描かれていたのが「楠木正成」だったと記憶しています。


後醍醐天皇を支え、足利尊氏との激戦の末亡くなった武将。知略にも武勇にも優れていましたが、尊氏との決戦の前に、彼が提案した戦略を後醍醐天皇側の公家たちが拒否。

勝てる見込みのない戦に新田義貞と共に投入され、最終的には自害。


という、予備知識を持った上でこの本を読むと、正成のような頭の良い人がなぜ後醍醐天皇についていったのか?


足利尊氏のように機を見て、情勢の良い方に裏切っても良いように思えるのですが。


当時流行した禅の考え方「利生」というのがキーワードになってきます。


利生=衆生に神仏の利益をもたらすこと


つまり、国民みんなハッピーになることなのかしら?(軽)



後醍醐天皇、楠木正成、足利尊氏は皆、この「利生」を目指していたというのが一つの柱にあり、正成は尊氏を「同門である」と評していました。


どこまで史実に基づいたいるかはわかりませんが、正成が尊氏の館は招かれ、お酒を酌み交わすシーンがとても印象的です。


お互いのお気に入りのお酒を酌み交わし、その横でお互いの子供たちが遊んでいて、静かで豊かな時間をとても美しい情景です。


この酒席で、正成はとっておきの「戦場食」を尊氏に披露します。玄米を鍋で丁寧に炒り、一晩水に漬けて翌日梅干しと共に炊くというもの。

(途中、時間がないからと家から出来上がったものを持って来させて3分間クッキングかとツッコミましたが)


今日準備しても食べるのは明日。


いつ死ぬかわからないなかで「明日生きるための糧」を今作ること。


作中で尊氏は生きることへの意志が希薄である描写があるのですが、正成の生への真摯な姿勢との対比が鮮やかでした。


現代においても「利生の世」はまだなっていなのでしょうが明日のために、今日をきちんと生きること。


神仏のご利益にあずかるのはそのあとなのかもしれません。