娘が自分の部屋で一人で遊ぶことが少し増えてきました。
部屋に行く時「おへやであそんでくるね」という書き置きを残していきます。
この書き置きを見つけたら「あれー娘ちゃんいないなーあ、こんなところにお手紙が!!なになに、おへやであそんでる?!ほんとかなー?見に行ってみよう!!」
と芝居をうって、部屋に見に行くという儀式が必要です。
やらないと、「お手紙みた?!」と督促がきます。
「医者と侍」二宮陸雄
ロシア船舶からエゾチ(北海道)を守るため、幕府より警護を依頼される津軽藩。
もちろんヒートテックもダウンもない時代。警護のため北海道で越冬を試みるも、謎の病で多数の死者が出てしまう。
謎の奇病の解明のために白羽の矢が立ったのは、江戸で蘭学の医術を勉強し始めたばかりの若い侍慎之助。
彼がエゾチで見たものとは??
人を殺すのは病ではなく、人なのかも知れません。
「あるかしら書店」ヨシタケシンスケ
こんな本あるかしら?と尋ねると必ずある、そんな本屋さん。
唯一ない本は?
「海の仙人」絲山秋子
先月、絲山そんのエッセーを読んで、こんなテンションの文章を書く人だっただろうか?と思い、読み返してみたら、そんな感じでした。
「孤独ってのが、そもそも心の輪郭なんじゃないか?外との関係じゃなくて自分の在り方だよ。」
確かに、相対的な関わりから自分が孤独であるかないかを判断する気がします。片桐が言うように「自分は一人」と納得し、孤独を背負うことは勇気のいることのような気がします。
「あしたの君へ」柚月裕子
家庭裁判所調査官の見習い調査官補(通称カンポちゃん)たちのお話。
調査書の紙面上や、表面的な面接では判り得ない当事者たちの境遇や気持ちを、丁寧な調査により紐解いてゆきます。
(やりすぎじゃないか?と思うところをなきにしもあらず)
想像力って、大事だなぁと思いました。
「ボタニカ」朝井まかて
日本植物学の父牧野富太郎の生涯。
日本の植物図鑑を作ることを己の使命と信じて、「植物学」に文字通り全てを捧げた人生。
東大の研究室に学位もないのに入り浸り、もっとちゃんとしたポストを、用意するからなんとか学位だけでもと言われて時間の無駄と突っぱねるメンタル。
学問のためと、かなり裕福だった実家の財産は使い尽くし、借金はもはやいくら借りたか不明。絶対絶命の時も「なんとかなろう」という強メンタル。
実際なんとかなるのは、運なのかメンタルの強さのためなのか。
「とにもかくにもごはん」小野寺史宣
子ども食堂のお話。
子ども食堂というとどうしても「家でご飯が食べられない子」がいくところというイメージになってしまうのですが、作中の食堂は子ども無料、大人は300円という設定で大人も利用できます。
子どもが関わる大人って、両親や親類、あるいは学校の先生、あとは友だちの両親ぐらいかな?最近は近所の人と関わることも少なく、こどもが知っている「大人」ってかなり限定的です。
作中の子ども食堂では、子どもたちが、運営スタッフだけでなくそこを利用する大人とおしゃべりするような描写があります。
そうすると、「親」の世界だけが全てではないことに子どもたちが気がつき始めます。
「貧困の連鎖」は、それ以外の生活や考え方を知らないことも一因があるとすれば、子ども食堂の役割ってただお腹を満たすだけではないのかもしれません。