今月全然本を読んでいない!
平成も終わってしまう!
と、なんとなく慌てて一冊読みました。
著者は「動物行動学」という分野を開拓し、ノーベル賞を取ったコンラート・ローレンツ氏。
ノーベル賞受賞者の著書というのは、私にとって難解なものが多く、川端康成氏も大江健三郎氏も「え?ごめん。ちょっと何言ってるのかワカラナイ」と、なってしまい挫折しています。
令和になったら再挑戦してみようかな(明後日だよ)
しかし、この「ソロモンの指環」はとっっっても面白いです
主に鳥類や魚類を自宅で飼育し、その行動をつぶさに観察し、行動を引き起こす規範やメカニズムを解明していきます。
第1の感想は、私の夫がコンラート・ローレンツ氏でなくて良かったということです。
著書自身も語っていますが、カラスやガンの群れが自宅に放し飼いにされていたり、ネズミが足元を走り回っても、オウムが洗濯物のボタンを全部引きちぎっても、我慢してくれて本当に感謝していると!!
想像しただけで、うなされそうです
そんな彼と彼の家族の苦労の上でのびのびと暮らしていた、コクマルガラスやガン、数々のアクアリウムの中の宝石魚やヤゴやゲンゴロウの幼虫、その他もろもろ。
彼らの行動はまるで人間のように感じることがあります。しかし、コンラート氏はけっして擬人化しているわけではないと述べています。
「あまりに、人間的なものは、ほとんどつねに、前人間的なものでありー(中略、)私は人間の性質をそのまま動物に投影しているわけではない。むしろその逆にどれほど多くの動物的な遺産が人間の中に残っているかを示しているに過ぎないのだ」
この言葉にはっとさせられました。
成る程、人間も所詮は動物であり、我々の行動原理を探るには、より動物的なものの中に答えが隠されているのでしょう。
そう思うと、2歳の娘は我々大人よりも限りなく動物に近いものがあるのですが、彼女の行動に関して、この本を読んでいるとそういうことか!と納得する事があります。
例えば、ハイイロガンの雛は「夜泣き」をします。これは、ひとりぼっちでは生きていけないヒナが、夜の暗闇で親が確実にいるか確認するためのものです。
夜泣きに対して、「ここにいるよ」と反応してあげれば安心してまた眠るのです。
他にも、コクマルガラスは本能で天敵を認識する事ができません。一方で、カササギやカモなどはキツネや猫が危険な生き物である事は本能に、インプットされているようです。
本能で危険を察知できないコクマルガラスは、どうやって危険を回避する術を身につけるのか?
答えは年長者が経験から伝達するのです
人間の子どもも、親がそれを教えない限りは、フラフラと危険に寄って行きますよね
生き物であれば、危険は本能的に判断できる!という事はないので、親は過信すべきではないのでしょう。
また、このコクマルガラスはカラス類の黒い羽を見るとついて行きたくなる衝動があるようです。
子どもが流れる水に吸い寄せられたり、ヒラヒラ舞う蝶を追いかけたがるのも、同じ衝動からなのかもしれません

ダメだよ!となんど警告しても、聞かないのはその欲求がほとんど「衝動的」なもので、自分ではコントロールし難いのかもしれません

経験を積み、理性が身につけば自分で判断して衝動を抑えられるようになるのでしょう。
ついつい「何度もいっているでしょ!」「いい加減危ないことを覚えて!」と言いたくなりますが、こう考えてみると仕方がないのかもしれないと反省しました

平成最後に読んだ本。
とても興味深い、良い本に出会う事が出来ました
