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こんにちは、Epsil0nです。

先日、ふとしたことが切っ掛けで現在の大学の教育の実情についての記事を読む機会があったのですが、ゆとり教育という考え方の恐ろしさを身に染みて感じたことを言うべきかどうか、迷うところです。
ところで、そういったゆとり教育の現状について書かれた本として、「分数の出来ない大学生」という著作があります。これはゆとり教育以後の学生の質の崩壊について様々な教員の意見や現状が纏められたものですが、ゆとり教育の恐ろしさのみならず、「大学とは何か」を考えることにも一石を投じている本とも言えます。

昨今の学生は、大なり小なり苦手科目が当然あります。私でも理系科目、特に数学が得意で、そこに英語が多少、それ続いて情報系や理系と得意分野を持っていますが、対して地歴などの文系科目は全般が苦手です。実際、同じアカデミックな話でm、数理科学系の話であればついていけるにも拘わらず地歴の話はチンプンカンプンと、個人的には十分焦りを感じてはいますがその割には永らく改善出来ていないのが「自分もまだまだだな」と反省する点です。
しかしその一方で、周囲をみていると私の焦燥感がどこまで「焦り」と言えるものなのか些か疑問になるのもまた事実です。数字が大の苦手で、「数学なんて出来なくても人生は生きていける!」と言い切る友人を見ると、間違ってはいないが何かを勘違いしていないか?と思うものです。

閑話休題、ここ10年程度の間に大学の数は爆発的に増えました。いつの話か、新規3校の大学が設置不認可問題が取り沙汰されましたが、私個人の意見としては、例の3校も然り、昨年度もある一校が不認可判定でしたが、この件についても認可すべきだったのかどうかは一言では判断出来ない問題ですが、その理由として

①大学の新規に設立させることで新たに競争させ、競争に負ける大学は容赦なく潰す
②そもそも大学数が明らかに過剰であるのだから、これ以上の認可は不適当

という二つの理由を挙げることとします。問題なのは①で、現状でも定員割れを起こしている大学や大学としては余りに不適当な教育を行っているにも拘わらず国が補助金を出して運営を続けている大学は少なからず存在していることです。
確かに、大学が潰れることで母校が無くなるという事態にはなるでしょう。しかし、見方を変えれば、日本のように学歴がないことによる不利益がアメリカのそれと比べるとそこまで大きくない社会に於いて、母校が無くなったとしても本人が社会での立ち回りを覚える方が余程か重要なことでしょう。大卒でも中卒程度の知識・教養しか有さない人もいるわけですから、「大卒」というブランドに一体どれだけの価値があるのかは十分に疑問です。(・・・が、これは企業の採用担当者の方も感じていることでしょう。)

ところで、ここからは、現在の大学教育の問題点を個人的見解の下で指摘してみようと思います。

・リメディアル教育
まず以て可笑しいのが、このリメディアル教育という制度です。
Wikipediaにも多少のことは書かれてありますが、それでも現状の大学でリメディアル教育が行われている現状を知った上で「可笑しい」と思えない教育者は、その時点で教育者としては失格である、と断言しておきましょう。と言うのも、入学試験に合格した時点で、本来ならその学生は大学での学びについていけるだけの最低限の学力は有していると判定されているわけで、言ってしまえば、その試験の質が悪かったからこそ授業についていけない学生までもを合格させてしまったということと同義であって、入学試験の質を改善させることが大学側の義務とも言えます。
もっとも、リメディアル教育の是非を簡単に判断してしまう他の危険性も存在します。例えば、本当に勉学の意欲がある学生で、ギリギリ志望校に受かっていたとしましょう。入試のレベルの多少の差異はあるとしても、やはり入学してから授業についていけない学生は多分にいるものと思われますが、根っこを鍛えなおしてやればきちんと伸びる学生は確かにいます。その意味で、大学の価値を高めてくれる学生がリメディアル教育を受けることには大いに賛成です。と言うもの、高校まででは中途半端な知識で来ていただけで「あと一歩」を誰から支援してあげると一気に伸びる学生も居るからです。
また、単位の取得が容易でない大学というものは確実に存在しますが、残念ながらそれらの大学は大抵「留年が多い」「単位の取得が難しい」というネガティブな方向に評価されてしまうことが、今の教育現場の失敗でしょう。留年が多いことや単位の取得が難しいことは、裏を返せばそこまでしっかりと学生を育てる意欲があることと同義であって、むしろ留年へのハードルが低い、単位の取得が容易な授業が多い大学に、400万なり600万なり、場合によっては数千万の価値は本当にあるのでしょうか?本当に学びの意義を見出した学生にとって、数百万の学費は高いものではなく、自らの知見を広めてくれる本当の意味での「授業料」であって、リメディアル教育はそれを支えるセーフティーネットとなります。それでも学びの意義が見出せない学生は、10年程度前に山梨大学工学部で行われたように退学勧告を行い、「何故大学で学ぶのか?」を再認識させた方がむしろ本人のためになるのではないでしょうか。

・成績表の送付
私の知り得る限りでも、二桁の大学が、成績表を親元に送付しています。そこで、親は「Sが何個ある」だとかという余りに表面的な情報でご子息の成績を評価してしまうわけです。
実際のところ、同じSでも、授業によってはその質は全く違います。ある授業のSは他のある授業の1C程度であるということは普通であり、従ってSの取得が容易な授業ばかりで評価を勝ち取っていた学生の学力レベルがBばかりの学生より優れているという証明にはならないわけです。それでも、ご子息がSを大量にとっていれば学生自身も「俺(私)は頑張った」と虚構に満ちた頑張りを証明出来ますし、親御さんも「ああ、娘(息子)は安全なのだな」と変な安堵に落ち着いてしまうわけです。この点、確かに「親に成績が知られてしまう」という焦りに多少は繋がるでしょうが、逆に言うと親に知られて困る成績をとるような学生いると予想されて、またそのような学生が何故学生を続けていられるのかは疑問です。

・卒論が不要な卒業
特に私立大学に多いとは聞きますが、大学を卒業するに当たって卒論が必要ない、というものです。
もっとも、「卒論が必要ない」と言ってしまうとこれまた語弊が存在してしまい、例えば医学部医学科などの相当の学部なら卒論(と言うより学位を目的とした論文)はMaster's thesisやPh.D.で書いたら十分、とは言えます。しかし、昨今の大学ではそれ以外の学部でさえも卒論の代替講義で単位を取得すればそれで卒業可能、という制度が当然の状態であり、卒論を書くのは所謂「意識高い系学生」という謎の括りになってしまっている大学が存在しているのが実際です。
確かに、欧米などではBachelor's thesisというのは学部内でも優秀な学生のみが書くものですが、では「優秀でない学生」というのはそれまで何をしてきたのでしょうか?また、規模の大きい私立大学では学生数と教員数の比率が悪く、苦しくも質の高い卒論指導が出来ない状況にありますが、しかしそれは明らかに大学側の責任でしょう。大学側には、縦しんば全学生が求めれば全学生が満足に卒論を書ける状態を提供して当然であって、「教員数が足りない」というのは本来なら、教員数と学生数の適当な比率を見越して合格者数を決定しなかった大学側に相応の責任があるわけですね。
そして同じ「卒論を書かない」という状況でも、「書きたくても書けない」という状況と「最初から書く気がない」という状況とでは意味がπ rad違います。前者なら担当教員の手腕の問題も考えられますが、後者なら大学の、そして教育現場全体としての問題であって、文字通りその大学の存在意義にも拘わるのではないか、というのが個人的な意見です。

・盗作論文
昨今、他人の論文を不正に引用したり、Wikipediaの内容を丸々引っ張ってこれをさも論文かのようにするケースが相次いでいるようですが、これに関しては大学のみならず、大学までの全ての教育課程に責任があります。というもの、自力では卒論を書けないような論理的思考力や科学的思考力を十分に養成せずに高等教育を受けさせ、そのまま大学へと押し込む。論理的思考力が身に付いていないに卒論を書かせることなど離れ技にも程があるでしょう。当然その様な離れ技が出来るわけもなく、盗作論文が罷り通ってしまう現状には、誰が責任を取るわけでもなく、結局は大学側の責任が追及されてしまうのです。確かに、盗作論文を受け付けた大学側に責任を追及することは正しいことでしょう。しかし、何故彼が、彼女が盗作論文を以て卒論に代えたか。それは、それまでの教育に多大なる功罪があったからでしょう。
ところで、花川 典子 阪南大学 教授が不正論文の精査システムを開発した件について、最早「大学」という存在の意義は完全に危ういものとなってしまったと評価すべきでしょう。こういったシステムを開発しなければいけなくなる程に不正論文が蔓延ってしまっていることについては現場の教員を筆頭に真摯に受け止めなければならないことであり、また学力上不適格な学生を迷い無く不合格にするなど、更に引き締めた対応を取らないと大学の存在意義の崩壊は止められないものではないでしょうか。

今や大学は、補助金を国が出しているからこそ生きながらえているところもありますが、教育目的であるとの大義名分の下、その存在意義が問われかねない大学が何故潰されないのか、やはり業界についてそこまで詳しくない身としては疑問ばかりが残るものです。//

P.S.
これまた古いネタですが、某大学のM.B. SLR McLarenのお話。個人的には

①結局何がしたかったのか・・・?
②単に自身がSaloonの方が好き

という理由で眉をひそめてしまいましたが、SLR程ではないものの、母校の駐車場にもGクラスやChrysler 300Cが時折停まっており、「学校の経営者って一体何なんだ?」と疑問に思ってはしまいますが、車について疎い人からは「で、凄そうだけど何なの?」と言われる時点で結局彼らも学費を吸い取られているだけじゃないのかな?・・・と思ってしまうものでした。