久々に投稿してみます。
ところで、日本には、所謂「空気を読む」という言葉があるように、その場のムードに合わせた、場を乱さない振る舞いが求められることがありますね。入試でも「行間を読め(先生、行間は真っ白です!」なんていわれるくらい、本質を掴むことが要求されます。
しかしながら、実際には空気を読むと言いますか、行間を読むということは日本人は非常に苦手なのではないかと私は考えています。何故か。実際には読めるべきときに読めなかったりするからです。
先日、寺井校長の発言をメディアが取り上げ、大炎上していましたね。これも不思議な話です。
『今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。
なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。』
はい、仰る通り。
しかし、寺井校長は、昨今の教育現場をオブラートに包んで批判しているように私は思います。
あるサイトでは、この話を聞いた生徒の中には
『女子生徒は「私はまず大学に行きたい。女性だけが年を取って入学するなんておかしい」。別の1年の女子生徒は「勉強するのも記憶力や集中力がある若いときの方がいい」と言った。』
とのことですが、こういう生徒はいいでしょう。しかしながら、現在、多くの大学のレベルは完全に崩壊しています。特に悪いケースでは、上位国公立や私立との併願をしたものの受験に失敗し、不本意入学をしたケースだと、スタート時点で学生が教官を追い越している場合もあります(実例アリ)。
また、大学に行ったものの部活やサークル、バイトに明け暮れるて単位をギリギリ取って卒業するケース、大学に馴染めずニートや消極的中退(=起業などの相当の事情無く退学するケース)となってしまうケースや非医学系学部で5年生以上の学生もいるケースも考えると、今の大学生のうち、本当に行く意味がある人口がどれだけあるのか、私には疑問です。
日本が無くなってしまう、ということも、これも試算が出ています。詳しい計算やデータは割愛しますが、このままでは日本は着実に消滅に近付いていきます。
『「女性が、こどもを二人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。』
これは賛否両論アリです。
ところで、何故女子大はあっても男子大学は無いのでしょうか?それは、本来であれば女性は家を守ればそれで終わりだからです。
しかしながら、男女平等だか男女共同参画社会だか云々という平等意識が一人歩きしてしまっている気もします。もっとも、私自身、女子は大学に行くべきではない、ということを言いたいわけではありません。行きたければ行けばいい、しかしながらキャリを率先し過ぎて、生物としての本質を見失っていないか、と疑問を投げかけたいわけです。
『もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。』
これも、私は賛成です。
世の中には、経済的にも肉体的にも未熟な青少年が望まぬ妊娠に直面することがあります。そんな時、当事者たちは本人の性的認識の不十分さを責めるだけでしょう。大人たちも、余りに無責任なまでにも、また大して解決策を与えられるわけでもないのにそういうことを不適切な異性間交友と罵りさえすることもあります。
しかし、そういうことがありつつも、世の中には治療をしてまで妊娠を望む人口も存在します。消滅可能性都市や限界集落という言葉もあります。この違和感は何でしょうか?
結局、社会全体として、人口を増やし、維持していくための意識が根本から欠落しているわけです。曖昧な道徳意識や発言に対する過剰なまでの責任追求体制が、結局は「臭い物には蓋を」の精神を産んでしまうのです。
『次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。
人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。』
これも前半は正しいです。
私自身、因習的な「男は働き、女は家事」という考え方に対しては賛成しかねます。必要であれば育休を取得し、我が子の成長を見守るのは人生において必要な経験です。
そもそも、夫婦というのは結婚の際、互助努力を誓い合った身です。なのに、男性と女性それぞれにユニークな役割を課すことが変です。
もっとも、後半部には若干の違和感は感じました。子育ては、本来は生物としての繁栄欲求ですからね。
義務教育では、色々と生徒に問題意識を植え付けています。合計特殊出生率、少子高齢化、核家族、平等意識などと様々です。
しかしながら、そういったことを学校で学びながらも、その意識はどこか遠くへ薄れてしまっている気がします。
ところで、女性が結婚相手に求める年収でこれまた色々とあるみたいですね。私からしてみれば何とも意味不明な議論ですが。
私としては、結婚と株式投資が被ります。最初は魅力的に見えた結婚相手(企業)は、ぱっと見はその中身は(何処まで株価が上昇するか)わかりません。それでも、自分の魅力(判断力)の範疇で、より良い結婚相手(銘柄)を選ぶしかないわけです。顔が魅力的なのか人間味なのか家庭的なのか(財務諸表の中身が魅力なのか事業内容が魅力なのか株価が魅力なのか)を判断した上で、相手を選ぶしかないわけです。
しかしながら、昨今の婚活市場で焦っている女性は、ITバブル期の銘柄のようにも映ります。結婚相手に対して、一流企業だから、年収が魅力的だから言い寄る女性は多く居ますが、ではその女性にはそれだけの価値が本当にあるのでしょうか?若かりし頃は若いことだけが取り柄だったからこそ言い寄られていたのに悉くその誘いを断り、賞味期限が切れ掛かってから急に焦りだしている姿は、ITバブルで一気に株価が上がるものの、バブルが弾けて一瞬で価格が暴落して行く銘柄みたいである意味滑稽です。
私の以上の意見に対しても批判があって当然ですが、私は飽くまで寺井校長の意見に賛成です。もしそれでも校長の意見を批判するなら、それこそ先に行間を読むスキルを磨いてからにしても遅くはありません。
感情論でなら、誰でも校長の意見を批判することは出来ますが、しかしネット上でなされている批判をみる限りでは、結局は社会全体としての問題意識はこんなものなのかな、とさえ思ってしまいます。結局のところ、日本人がいうところの「行間を読む」だとかいう技術とは一体何なのか、と疑問に感じる一件でした。