及川奈々じゃなくて浩治
今日は昨日までと打って変わって自分自身を受容してる。
ラクだな。
結局深夜から早朝にかけて眠らなかった。
色々試行錯誤するけど、取り合えず自分を受容できていないときには、
理想自己の拡大だったり尊敬する誰かとの同一化が起こるらしい。
傲慢で自分を良く見せようとすることが制御できなくなる。このときの自分をすごく嫌な存在として感じる。
それが昨日の日記の自分だ。
昨日の演奏会で自分を良く見せようとしてしまったとあるけれども、
それよりも本番という一回きりのあの貴重な時間と空間、聴衆の存在感(いくら人の評価に対して前よりも強く自我を持つことのできるスキルが身に付けれても、あの緊張感は嫌なほどに伝わってきた)によって、自分の表現を描く場所を見失ってしまっていた。自己が負けてしまった。
何なのだろう。あの空気は。鍵盤までもが鋭く感じられた。
リハーサルでは、練習のときよりも自分を伸び伸びと表現できた。
だから本番も大丈夫だと思ってたのになー。
何なんだよ、あの感覚。強い感受性が余計なものまでを・・ただ自分の音の世界だけを感じ取って欲しかったのに。
それが極めて困難だった。
感じれ!感じれ!って頭で思っても無理だった。
取り合えず諦めずに演奏はしたが。
だけど、至って落ち着いてる自分もいたな。成長だ!
あー、でも本番っていうものは・・一体。あれは異常だ。crazyな感覚だった。
もちろんみんながみんな同じように感じているわけじゃないだろうけど、本番で大体の人は緊張するもんだもんな。
普段優しい師匠がいざ本番になると急に表情を変える場面が漫画などでも描かれる事があるが、
自分の弱さに打ち勝ち集中するためという中に、この本番という空気の中でいかに自我を強く持てるかも含まれてるのかもしれない。
今日は反省会があった。
お菓子を食べつつ、「本番の空気に負けてしまって、リハーサルのようにいかなかった。悔しかった。」とどうにか言葉を紡ぐ。
そこまで居辛さは感じなかったせいか緊張はそこまでしなかったな。まぁ他に視座が高い自分がいるからどうにか支えられてるってのもあるけど。
先生からの激励の言葉。優しい人だな。それに今回の言葉は本当の評価なんだな、と思えるものだった。
心のそこから何の迷いもなくそのまま素直に評価してくれた感じがした。
原稿の製作についてもすごく褒めてくれた・・もう子供でもないけど(先生からみたら超子供だろうけど)、やっぱ嬉しかった。
けどちょっと恥ずかしさが勝ってしまったかな。
感性からくるピアノの音色について、あなたの音楽は分かる人には分かってること、息の出来る音楽だということ。
結局先生は私だけを褒めた。
褒められるところがある自分。
そういえば前にいいものを持っているって言ってくれてた。
なんか本当すごい人たちからいつも褒められる。不思議だ。自分はそこまでじゃない。
ダメダメな部分ばっかなのにな。ダメ9割、イイ1割。質量的にはダメ3割、イイ7割と多角的に見て考える自分もいる。
何に重点を置くか。
これは色んな場面で現れるな。
さて!フランス語にセンター、ピアノがんばるか!ネットは重点に置かない!