すみれちゃん&ゆきさんのブログでの言葉をみて、、
思い出さずにはいられないことがある。
そう、過去をふり返れたのは、去年の夏で。
私は
もう10年前にもそろそろなる
28〜29の頃の出来事を
思い出すのが怖かったし、
思い出すと、
自分自身を、なんて自分を恥ずかしい存在だ!
(他者の目から見てそうだったので)
(いろいろ言われてるのを聞いたし、侮辱や軽蔑、道ですれ違うと嘲笑われたり、避けられるような🚙)
と、再認識させられそうで………
自分自身や とりまく出来事を
自分の目で 改めて見なおすことが怖くてたまらなかった。
恥のような羞恥心のような また、自己否定がすすむしかないような気がしていた・・・
(職場などが複数絡んでいたので、、狭いとはいえ、ほぼ、町中の規模で、私がしりもしない不特定多数から、自分のことを最悪の噂や言い伝えにより、知られてしまった。)
(規模や実態はだいたいわかってるつもりでいたけど、事件後、入退院後リハビリ中、4年経ってから外出した時、
想像以上だ、いまだに?? という出来事を、体験したので、、、悪い妄想も、改めて膨らんだ。だから、明らかに目に見えてる悪い事態と、 想像での余分な悪い事態のスケールが、いつから当たっていて、いつからどんなふうにチグハグになってったか?は、神様にしかわからなかった。)
………だから
生まれてからこれまでの、すべての過去をかなぐり捨ててきたような、瞬間が、あの出来事後に、内側で起きた。
乗り越えてきたものも、なにかが出来た誇りも、頑張った形跡も、覚えたことも もろもろ 。。。
だからだろうか………その後、入退院など経てから
初めて関西へ、マリー・アントワネット展を観に、友達と日帰り旅に出たとき………
バスの乗り降り、どこに何が書かれている………
何時発………ここでいいのか、これでいいのか………………





県外で4年暮らしてきてわりと堂々と色々なことをこなせるようになってた筈なのに
それまでの基盤が全て なくなってるような
ゼロの頭で うろたえる瞬間があり、自分でも驚いた。
『………………私は なにをすててきたのだろう………』
とても大事な生きる基盤や 物事の基礎まで忘却してしまってるような体感だった
それをとても覚えている。
が、この夏、改めて、
自分年表を つくってみようと思いたち
生れてから・・・どんな不思議体験があったか、どんな夢をみたか、何が起き どんな気持ちだったか、それをどうやって乗り越えたか、何年前に誰とどこで出会えたか、、
これらをまとめていく毎に………不思議と、、
幼少期
各節目節目の、『過去の自分達』が『今の自分』にパワーを送ってくれてるのを感じた 

自信がついてきた………というか。



去年、年表をかくまでは
『もう10年にもなる、、、』その事と現状を照らすと





『
なにもできてない10年間、一体なにをしてこれてたのか??

もうちょっと、がんばれたのではないか??
』


そんな焦りのような、残念なような、落胆しそうになっていた気持ちが時々わいてでたが………
年表にしてみることで、癒やされた。
実は、前にも、『自己受容』『自己肯定』などのため、
何年に生まれた、祖母が世話してくれた、誰に感謝、とかそーゆー系も含めての、箇条書きを試みてみたが・・・・他人・他人・他人他人他人、、、、、
どーでもいいこと(←きっとそれは、『感謝すべき』大事なことなのだが)ばかりの羅列が、増えて増えて
細かくて要点がまったくみえなくなり、胸にはなにも響かなかった。
そんなことどうでもいい【なぜ人のことばかり??】【自分自身への緊急要項】【自分自身はどこ???】
って感じて
内側が満たされなかった。
自分自身(傷ついてきた部分や、インナーチャイルド?)を、認めたくても認められてなくて、可愛がれていなかったのだから、そんな他者がたくさん出てきて、それに感謝ばかり(←やってきたことでもあったから)、【自分のことはどこ??】と、くやし涙をながしていじけるような状態になりそうで、やめた。
やめてよかった。
【自己受容】【自分を認める】ための作業をしたかったから、当然、そうなるだろうと、わかる。
自分自身に本当に足りてない部分・自分の力を信じられる部分を、まずは、まとめた年表を
【自分でやってきた行動】【自分の身に個人的に起きた出来事】のみを書いてみた。
東京に旅に出て、何年に出会えた………
なにをした、なにに参加した………
それだけでも、『あぁ、、要所要所で、できる限りのことを、ちゃんと、やってきてたんだなぁ………』
そう、納得できた。
10年前についても………
とある原因は複数あったり、
自分自身にとって重要な事情があり、
とても他者には理解できないような
なぜか "命がけ感" もあり(おそらく過去世から&DNA的に引き継いでた傷)
他人ではなく、
自分にしかわからなかった
自分自身のいろんな細かなことが、思い出せた。
【自分自身で自分のことを真に理解すること】
が癒やしにつながり
【誰がわるかったわけでもない】ことがわかった。
たとえ、絡みのあった組織や世間からみたら
【悪いのは私】というレッテルが貼られていようが。
私自身が、本当に心から、どう思えてるのか・・・
が、自分自身に作用するんだな、、、と、、、
わかった。
そこからの歩みは、きっと、あしどりも軽くなるだろう。
そこからの歩みは、きっと、力強く、新しく、自分らしいものに、なるだろう。
『他の人達に、覚えられてて、いまだにその目でみられてるのか………………』
そんな葛藤や苦悩のとき、
pinterestでたまたま見つけた絵が、女の子の顔に両目の他に、淡く目がいくつかかかれてあり
【don't look at yourself through their eyes】の文字があった。
【彼ら/他者の目を通して自分自身をみないで】
という言葉だった。その絵や言葉を見つけたとき………私には、その意味が、まだ、わからない時期だった。。。
こわいおそろしい過去があったとしても、、
改めて【自分の眼】を通してみてみたい………
私たちは、あまりにも、想像上の【誰かの眼】を通して、【出来事や、その時の自分自身】をみつめてしまってないか?
想像上のその視線が、、、時が経つごとに、もしかしたら、現実以上、、にふくれあがってしまう可能性もあるのだから
自分自身に、本当に優しくしてあげたい。
あの時や、この時、その時、
いつの自分に対しても、いまの自分自身が味方でいれたら。。。









どれほど時間がかかったとしても………そう在れる日はきっとくる…
時間がかかったとしても………自分を生きるために…大きな価値がある瞬間を迎えよう
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