祖母に聞いた 8月6日
みなさまこんにちは
イプラスジム広島です。
今日は 原爆の日。
8時15分 各教会、寺から鐘の音がと共に黙祷をささげました。
世界中の人が人権を守られ平和に暮らせますように。
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母方の祖母(84)に聞いた話。
広島市内と祖母の家は直線で9km弱。
長男さんを背中に負ぶって洗濯物を干していた祖母は
市内の方角に見とれるほどキレイな光線を見たそうです。
・・・次の瞬間 激しい風と共に毒々しいきのこ雲を見たと。
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ここまでは 何度も話してくれた祖母。
でも これ以上は語ろうとしてくれませんでした。
今年 曾祖母がなくなって25年。
次男の叔父が、曾祖母の戦時中、戦後の逞しくいきた様を
皆の前で語ってくれました。
この法要のあと、祖母があの日の出来事を話してくれました。
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きのこ雲、何事があったのかと思っていたら
『 奥さん、水くれぇ言われても水やりんさんなよ。水飲んだら死んでんらしいけぇ 』
何のことかわからず 戸惑っているところへ
目を覆いたくなるような 変わり果てた姿で
次々と被爆した人が水を求めて帰ってこられたそうです。
祖母は とても失礼だけど怖さのあまり 『どうぞ』 と
求められるままに 水を差し出したそうです。
『おいしい!』 と微笑まれバタンと・・・息をひきとられたそうです。
『水をやるな』 の意味をようやく理解した祖母は
恐ろしくなって 一度は奥に引っ込んだそうです。
その後、祖母は表にでて水をさし出したのでしょう。
あの時、水をあげないほうが良かったのか
水をあげてよかったのか 祖母は今でも苦しんでいます。
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一方、姑の曽祖母はとても活発な人だったようです。
市内に大きな爆弾が落ちたことを聞きつけ 情報を集め
市内で学徒動員されている末の息子の安否を確かめるべく
バタンコにリアカーを乗せ 市内まで走ったそうです。
決断が早い曾祖母の行動に実の息子:叔父(祖父の弟)は
『これが母の強さ・愛か』 と思ったそうです。
焼け野原に着いた曾祖母たちは 無言で一人一人確認したそうです。
広い範囲を探しても見つからず あの手この手で探し回る中で
『ケガをした学生が大学病院に運ばれた』 という情報を入手。
急いで大学病院に向かい対面を果たしバタンコで自宅に。
数日後、息を引き取ったそうです。
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亡き祖父は お酒を飲み涙しながら 戦争話を面白おかしく語っていました。
『この日、おじいちゃんのひげが一瞬でぼうぼうに伸びたんだよ かっかっか(笑)』
今となっては 本当だったのか確かめる方法はありませんが。
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国の物資倉庫として使われていた祖母の家の商業スペース。
たばこや洋酒、野菜、玉子など
当時貴重とされていたものが目の前に運ばれてくる・・・
それらを食べた気持ちになっておいしい!と思ってたそうです。
こんな話 当時を伺う貴重な話!!
祖母には辛い思いをさせると思うけど
また 聞かせてほしいな。
私たちって とっても裕福ですよね。
PCや携帯もてるんだもん。
ほしい情報、一瞬にして調べることができる・・・
だけど かえって大切なもの、ことを見失っているような気がします。
ものがありふれるなかで 平気で冷蔵庫でもの腐らせていたり
まだ使えるのに 新しいものを購入したり・・・反省ばかり。
今日は 自分の生活を見つめなおす1日になりそうです。
思い立ったら吉日。
無理なくできることを続けていきたいと思います。