Paul McCartney曰く
「何ヶ月もかけて何度も同じ曲を手直しした。
JUST FUN、IN SPITE OF ALL DANGER
これ(ら)は僕が仕上げた曲で、Johnは殆ど手直しをしなかった。
僕が書いた曲でLIKE DREAMERS DOというひどい曲があったけど、
あれは後にアップルジャックスが歌ったっけ。
(John Lennonが持ってきた)ONE AFTER 909も良くなってきて
それから“LOVE ME DO”が出来た。
やっとレコーディングが出来る運びになって
それまでの作曲活動が最高点に達した形であれが出来たんだ。
これは完全なる共作だ。
最初のアイデアを出したのは僕だったかもしれないけれど他の部分はフィフティフィフティ。
あれはそうだったと思う。
二人とも特にオリジナルのアイデアもないままに一緒に作った
レノンマッカートニー作品だよ」。
括弧内は僕が追記したもの
これは[MANY YEARS FROM NOW]という本に記載されている内容です。
このPaulの意見はかなり重要だと思うのですが
なぜかあまり注目されていないような気がします。
特にLOVE ME DOがデビュー曲になった経緯を示す重要な証言です。
「何ヶ月もかけて何度も同じ曲を手直しした。
JUST FUN、IN SPITE OF ALL DANGER
これ(ら)は僕が仕上げた曲で、Johnは殆ど手直しをしなかった。
僕が書いた曲でLIKE DREAMERS DOというひどい曲があったけど、
あれは後にアップルジャックスが歌ったっけ。
(John Lennonが持ってきた)ONE AFTER 909も良くなってきて
それから“LOVE ME DO”が出来た。
やっとレコーディングが出来る運びになって
それまでの作曲活動が最高点に達した形であれが出来たんだ。
これは完全なる共作だ。
最初のアイデアを出したのは僕だったかもしれないけれど他の部分はフィフティフィフティ。
あれはそうだったと思う。
二人とも特にオリジナルのアイデアもないままに一緒に作った
レノンマッカートニー作品だよ」。
括弧内は僕が追記したもの
これは[MANY YEARS FROM NOW]という本に記載されている内容です。
このPaulの意見はかなり重要だと思うのですが
なぜかあまり注目されていないような気がします。
特にLOVE ME DOがデビュー曲になった経緯を示す重要な証言です。