『江戸城寛永度絵図』。
まずは再びこのリンク先を見てもらいたいのです。
前回からさらに拡大範囲-二丸から三丸の一部つまり大手門まで網羅-し、
さらに方位も入れました。
現在の地形は国土地理院の地図を基にしているのですが、なぜか石垣の形状の表現は非常に甘いのです。
実際に現地で調査した形状を基に補正してあります。
ちなみに同心番所が二つあるのは現在ある建物は明治期以降移築されているからです。
二丸の建物の作成は非常に手間取ってましてまだ表記してません。
二丸食違門は江戸時代の地図と現在の地図をあわせると、
閉じられてしまいますが本当は隙間があくのが正しいですね。
等高線など細かいところも描き足してあります。
二丸から西の丸まで引き続き作成していきます。ではでは