正式には甲斐府中城なのかもしれない。
雅名は舞鶴城。
武田氏が滅亡した後
豊臣氏の時代に
武田氏が砦として使っていた一条小山を削り
作り上げられた城です。
天守は発掘調査の結果
存在していたことが確認されましたが
どのような形だったかは
絵図が残っていないので
分からないとのこと。
仮に1~2枚の絵図が出てきたからといって
それをもとに再建天守を作り上げちゃうのはちょっと
危険じゃないでしょうか?
その絵があっているかどうかもわからないし…
いずれにしてもこの天守台はかなりの高さがあります。
上から見るといびつな形をしているんですが
果たしてどういう天守が載っていたのでしょうか?
って石垣に落書きをするな~バカモンが~!
そう、石垣の石に引っ掻いた落書きがあちらこちらにあるんですよ。
こんなところに書くなよ
モラルがないな~(怒)
気を取り直して
稲荷櫓がきれいに復原されてますね。
城の中で強烈な違和感を醸し出しているのが後ろに見えるのが謝恩碑です。
大正時代に建てられたものですが
このオベリスク
大きすぎる!
う~む、なにゆえオベリスクなんでしょうかね?
甲府市は
市内中心部に
躑躅ヶ崎館と舞鶴城
ふたつも見所がある城郭(館)建築があってうらやましいな~
と思う次第です。