
会津若松城(鶴ヶ城)に
いってきました。
城大好きな僕にとっては
コンクリートによる再建天守でも
実際の天守閣に基づいて再建されていれば
嬉しさもひとしお。
実は鶴ヶ城には
小さいころに何度か訪れているのですが
ものごころついてから
しっかりと見るのは今回が初めて、でした。
会津若松城(雅称は鶴ヶ城)は蒲生氏郷が
現在に残る縄張りの基礎を築き
当初は
なんと七層(!)の天守閣が聳えていました。
その後地震で傷んだため
移封されてきた加藤嘉明が五層に変更。
加藤嘉明の後は保科正之が城主となり
将軍家と密接な関係を持つようになります。
松平姓をいただいたその後の領主は
北の守りの要の役目を果たし
幕末へ…
ご存知
松平容保の代
京都守護職を勤め
京都の治安を危険を顧みず
守ったにもかかわらず
クーデターによって一転なぜか朝敵に
ついに戊辰戦争へ突入し
官軍の近代兵器の猛攻にさらされるも
1ヶ月の篭城にも耐えた
難攻不落の名城、ですね。
歴史書を何度読んでも
会津かわいそう!
薩摩&長州、汚い!ずるい!と思ってしまうのですが。
写真を40枚以上撮ってきたので折を見て紹介できたらいいな、と思っています。
とりあえず今回は天守閣の写真をアップします。
ちなみに江戸城の天守閣は鶴ヶ城の高さの約2倍ありました。
凄すぎる・・・