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寿能城はさいたま市大宮区にある城で、
見沼代用水(かつての見沼)の畔に築城されました。

太田道灌の子孫で
岩槻城主であった太田資正の第四子・潮田出羽守資忠が
1560年頃築城したというのが今までの通説でした。

城の範囲は東西約872m南北約436mもあったといいますが、
現在周辺部は宅地化が進み、
写真にあるような本丸部分が公園として、
その他出丸の一部が確認されているだけに過ぎません。

本日初めてその本丸部分の公園にいってみたのですが
噂どおり何の変哲もない普通の公園です。

これでは土塁の跡もほとんどわかりません。


城は舌状台地の東端にあり
周囲を見沼で囲まれた天然の要害だったとのことですが、
その見沼が干拓されてしまっているから
当時とは風景が一変してしまっているは無理もありません。

寿能城は1590年小田原の役で落城・焼失しました。


ところで通説と書いたのは、
現在さいたま市の歴史が
新たな研究の成果によって変わろうとしているからです。

というのも岩槻城は太田道真・道灌親子によって築かれたとされてきましたが、
どうやら成田氏によって築かれた可能性が非常に高いということなってきています。

そもそも岩槻城=太田道真・道灌親子築城説は
江戸時代の記述に寄るもので信憑性に乏しいとのこと。
太田道灌が江戸城、川越城を築城したことははっきりと言及しているにもかかわらず
岩槻城に関しては不明な点があるということ。

そして近年成田氏が築城したという記述が発見されるに至って…
そしてさらに寿能城を築城した潮田資忠も太田資正の子ではない可能性があるということで。

お~い今まで覚えていたことは何だったのよ!って感じです(笑)

たまにはこんな地元ネタ
歴史ネタはどうかなと思い
書いてみました。