見惚れる美貌 MINTONとSARREGUEMINES のシノワズリ・シリーズ VOL 1
ミントンの歴代をご紹介VOL 1
2015年に惜しくも廃止となったブランド「ミントン(MINTON)」は、
当時より、イギリスの食器ブランドの中で人気のあるブランドでした。
現在は希少価値も含まれる製品として、大変人気、今後も、価値の上がる
ブランド陶器品です。
その素晴らしい作品故、コレクターも多いお品物ですが、
最近はなぜか店主のもとに多くのミントンが集まってきます。
出会ったときの感動!
手に取ったときの、しっくりくる感じ、まさに歓喜!
今回、当点に入荷したのはこちらのお品、ウェブショップ にて販売しております。![]()
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https://www.epines-de-rose-paris-vintage.com/product-page/1-1
今回は、美しいミントン が12客入荷です。既に、数客売れておりますので、
お早めにどうぞ!全て、美品、完全品です。
今回はそんなミントン(MINTON)について、その200年の歴史からマーク(バックスタンプ、刻印)
の移り変わりについて紹介していきます。
何年のお品ものだろう? そう思ったら、参考にしてください。
ミントン社は銅版彫刻師、トーマス・ミントン(1765-1836年)によって1793年、
陶磁器の町として知られるイングランド、スタッフォードシャーの
ストーク・オン・トレントに創業されました。
そして、1793年に始まり、200年近く続く歴史を持つミントンは、
ストークの街でとても重要な企業であり、
19世紀には、ミントン社は大使や国家元首らのために
オーダーメイドされる食器類の一番の発注先にまでに成長していき、
これまで様々なスタイルで経営を続けてきました。
しかし、1858年に創業者トーマス・ミントンの息子ハーバード・ミントンが跡を継ぎ、
亡くなった後は、「ミントン」という社名は残りましたが、
それ以降ミントン家は経営には一切関わっておりません。
創業者のトーマス・ミントンは1793年にストークに移り住み「ミントン」を創業。
その3年後には窯を開きます。
銅版彫刻師であったミントンの作り出す作品は、
白地に青く染めたマジョリカ焼き、ボーンチャイナ、パリアン磁器など、
芸術性の高い磁器を生みだし、ヴィクトリア時代には際立った存在でした。
また、ミントン社は1798年以降からボーンチャイナの製造を開始しましたが、
このボーンチャイナは「世界一美しいボーンチャイナ」と世間に絶賛されています。
ミントン社は創業時から急成長していきます。
息子ハーバート・ミントンの時代のミントン社
ハーバート・ミントン(1793-1858)
父トーマスが亡くなり息子のハーバート・ミントン(1793-1858)は社長として父の跡を継ぎました。
それまでのミントン社の主製品と言えば、陶器やボーンチャイナに装飾を施した実用性を重視した製品が殆どでした。
そこで、19世紀の著名な企業家としても知られる息子ハーバートは会社の発展と名声を何よりも優先した彼は、
多くの芸術家や熟練職人たちを集め、
新しい技法や生産メソッドを取り入れ、当時の定番だった形に豪華な模様を施すといった企業経営の面からも芸術性の面からも
ミントンの名声を確立させました。
また、1820年ごろからは人形や装飾用の磁器を多く生産するようになります。
そんな初期のミントンはフランスのセーブル焼きとよく比較され、大いに影響を受けたのです。
ミントン とサルグミンヌ のシノワズリシリーズは、フランスとイギリス と相互に影響されて合っていると
いう事なのだと思います。
オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージンやヘンリー・コール卿、
アルバート公らは頼もしい協力者で、ミントンは彼らのデザインも取り扱っています。
また、画家で彫刻家のアルフレッド・スティーブンズ、
フランスの彫刻家Hugues Protât と Émile Jeannest、
画家のジョン・シンプソンもミントンに雇われていたのです。
若く優秀な人材を採用し、大理石のような肌理を持つパリアン磁器や
金を立体的に盛り上げるレイズド・ペースト・ゴールド技法、
金の腐食を用いて陶磁器の表面に細かい模様を作るアシッド・ゴールド技法
などを発明し益々、ミントン社は大きく成長していったのです。
初期の製品はあまり品質が良くなかった為、新しいボーンチャイナの開発に努め、
1804-06年にかけてより優れた製品を生み出すことに成功します。
トーマスが考案した「ウィロー・パターン(ブルー・ウィロー)」は、
中国を舞台にした悲恋物語を題材にした図案であり、白地に青の絵付けで柳の木、
楼閣と東屋、川に浮かぶ小舟、二羽の小鳥といったモティーフが描かれています。
シノワズリーが大流行した当時のヨーロッパで大人気となり、
様々なメーカーがこのパターンの食器を作りました。
『ミントンのシノワズリを取り入れたカップ&ソーサー』
このようにミントン社はハーバートが会社を継いだ当初から実用性よりも芸術性にこだわった、
経営方針から最大限の高価な食器類を製造してきました。
1849年にはフランス人陶芸家レオン・アルヌーがアート・ディレクターを努め、
ルネサンス期の様式を復活させたマジョリカ陶器の展覧会で大成功を収めました。
レオン・アルヌー
フランスの陶芸家、レオン・アルヌーは1849年、
ミントンのアート・ディレクターに就任し1892年まで続けました。
彼の業績といえば、模様を表面にはめ込んだ陶磁器や
リモージュ磁器のスタイルで装飾された作品、色鮮やかなマジョリカ焼きなど、
ルネサンスの影響を受けた陶磁器の開発でした。
1851年の万国博覧会で初めて展示され、庭園の装飾品といった大きなものから
普段使いの皿や食器などの精巧な装飾部分など、幅広く使われるようになりました。
マルク・ルイ・ソロン(1835-1913年)
ソロンはセーブルでパテ=シュール=パテの技法を確立したのち、
それをミントンに導入しました。
彼の新しいプロセスとは、液体状のスリップ(水と粘土を混ぜたもの)を
何層にも重ねて浮き彫り状するという、大変な労力のいるものでした。
というのは、そのスリップの重ね塗りは一度ずつ乾かしながら行わなければならなかったのです。
1840年、ミントンを訪れたヴィクトリア女王の注文で製作された作品が
「エグゾティック・バード」です。金彩に縁取られた紅色の中に、中国風の
白い鳥の絵が配されたこのカップは、前述のアシッド・ゴールド、
レイズド・ペースト・ゴールド、パテ・シュール・パテの三大技法が駆使された
他に例を見ない作品です。
ヴィクトリア女王はミントンのカップを「世界で最も美しいボーンチャイナ」と賞賛しました。
1856年からは王室御用達となっています。![]()
ミントン社 3代目
コリン・ミントン・キャンベル(1827-1885年)
1858年のハーバートの死後、ミントン社はハーバートの甥にあたる
コリン・ミントン・キャンベルが会社の跡を継ぎました。
彼もハーバートと同じく大胆で革新的なリーダーで、
1860年代、ミントン社ではオリエンタル調の装飾が主流となり、
陶磁器やボーンチャイナ製のかなり独創的な作品でも、
中国の七宝や日本のうるしに象牙、
イスラムの金属細工にトルコの陶器などを感じさせるものが多く制作されました。
ミントンの陶磁器に使われている「ミントン・マーク」は、200年の歴史の中で変化し続けてきました。
続きます。
ちょっと、長くなりますので、VOL 2に続きます!
VOL 2では、いよいよミントン の歴代の刻印をご紹介!
是非引き続き、ご覧くださいませ。



