韓国に和食「キムチの恩返し」


ソウルの街に日本食があふれている。植民地期に伝わったとされるオデンやウドンは韓国語で定着。最近は回転ずしやカレーライスなど、ブームが拡大中だ。


かつて日本料理の定番は「刺し身にコチュジャン」だった。今は本場に近い。ソウルの「Tokyo Saikabo」には家庭の味を看板に煮物やコロッケ、自家製ぬか漬けなど50種類以上メニューがそろう。



韓国料理で知られる妻家房(さいかぼう・東京都)が2009年に出した店だ。


「私はかつて日本料理を誤解していた。淡白で、量も少ないと。でも装いの美しさがあり、目で楽しんで食べると後から満腹感が生まれると知りました」と社長の呉永錫(オヨンソク・62)は言う。


韓国生まれ。デザイナーになろうと83年に来日し専門学校卒業後、都内の大手百貨店に就職した。転機は1年後。同僚を自宅に招くと、キムチやチジミ、ピビンパなど、妻の手料理が絶賛された。「韓国料理=焼き肉」のイメージしかなかった同僚が、デパ地下への出店を勧めた。妻家房の始まりだった。




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88年のソウル五輪で日韓の距離がぐっと縮まった時代。両国の食文化も互いに広まった。食品需給研究センターによると、キムチは99年に浅漬けを抜いて国内漬物生産量のトップに。今も独走中だ。


日本に入国した韓国人は2013年には約270万人で30年前の約10倍に上る(法務省調べ)。大半を占める観光客の期待は「食」が5割強で、温泉やショッピングを抑え1位だ(日本政府観光局の10年調査)。


日韓の味を知る呉は「韓国料理の魅力に気づかせてくれたのは日本人だった。韓国に正しい日本料理を伝え、日本の良さをもっと知ってほしい。キムチの恩返しですね」と笑う。



正しさに固執するつもりもない。「10年、20年先、韓国ではちらしずしを、日本ではキムチを、自分の国の料理だと思う若者がいるかもしれない。でも『国籍』が入れ替わるくらいが、新しいおいしさにつながっていく」。そんな未来像を描いている。=敬称略(木村司)




朝日新聞 2015年(平成27年) 1月5日 月曜日 第2面(13版)





朝鮮の代表的な漬け物としては、いわずもがな『キムチ』でありますが、戦前や敗戦まもない日本においては「朝鮮人の食べ物」の代名詞として差別のワードでありました。無論、それは今でもネトウヨを中心とした勢力が「キムチ臭」や「キムチ悪い」などというセンスのない罵倒言葉として使われ、そういう闇の面は現在でも引き継がれております。


しかし、一般社会においてかつては「朝鮮人の食べ物」と蔑まれたキムチが逆に日本人のほとんどの舌を支配するにまで至ったことが、私としては何とも複雑な気持ちでおります。というのも、これからお話するとある在日コリアン(2世)の祖母の方が、戦前におけるキムチの逸話や、現在のような「キムチ氾濫状態」に至るまでの変遷を述べてみたいと思います。



その在日コリアンの祖母の方は、戦前における朝鮮人としてはめずらしく、父の個人的才覚で独立した企業経営によって財を成し、当時東京市の警察署長であった人とも交友関係がありました。そして戦争が激しさを増すにつれ、一家は疎開をすることになり茨城や埼玉などの各地を転々として、その先の学校の給食の時間でたまたま後ろの席の方を見てみると、当時はみな新聞紙でお弁当を包んでいる時代でしたから、その新聞紙で隠すようにして、キムチとご飯を食べる女子生徒がいました。


つまりそういう時代だったのです。


公にしてキムチを食べると、「朝鮮人はニンニク臭い」と罵られるものだから、それが嫌で隠すようにして後ろの席で食べるしかなかったのです。これは当時の日本ではあたり前の光景でした。


こういう「差別」の実態は、戦前では当然のごとくまかり通り、新聞の記述でも朝鮮人を「鮮人」(差別用語)と貶め、戦後においてもそれは続き、友人のコリアンのお父さんが京都の田舎出身で同級生の酒屋の息子に「鮮人」(同)と集団で追いかけまわされ、逃げる途中に足を裂く大怪我を負いました。



それか何十年か過ぎ、その祖母の方が結婚相手の夫(祖父)の方と共に焼肉店を起業し、最盛期には年間数百億円を売り上げる企業へと育て上げました。そこで切り盛りしていくときに、たまたま店の外で子どもが駆けて「お母さーん、キムチ買ったのー!?キムチ買ったのー!?キムチ買ったのー!?」と連呼して母親が「キムチ買ったよー!」とする姿に大変驚かれたそうです。


その光景が良いのか悪いのかは別として、少し前ではあれだけ差別の対象として話のコリアンの女学生のように身を潜めながら食べなくてはいけなかったのが、まるで全てを忘れ去ったかのようにキムチが日本全国に普及する様は、少々複雑な気持ちを誘発させるものでした。現代の子どもたちは、キムチが「日本の漬物」と勘違いする子も出てくるでしょう。朝日の記事中には「『国籍』が入れ替わるくらいが、新しいおいしさにつながっていく」と楽観的な意見も綴られていますが、とある偉大なサンゴンイン(在日企業経営者)がおっしゃられた言葉は「キンチ(キムチ)もいつか日本に奪われる。焼き肉もそうだ」とされました。


たしか何年か前のテレビの番組で、上海に出店していた日本人経営の焼き肉店が多くの提灯をぶら下げてさも『日本料理』のごとく偽装していた姿が目に浮かびました。


言葉は少々悪いかもしれませんが、他国の文化をいつも間にか自国の文化にしようとする性質が日本にはありますから、そうやって近代から西洋文明の技術然り、零戦や戦艦大和の場合もそう、ラーメンもいつのまにか日本料理のような位置づけになり、焼き肉もいつかはそれに加えられるのではないかと私は危惧しております。



そうならないためには、どんなことをしなくてはいけないのか。



幸いながら、キムチを主軸とする食文化は国連から無形文化遺産に承認されましたが、焼き肉もそれに加えなくてはならない。私自身もただ指をこまねいているわけには行かず、近いうちに留学する予定でイギリスに赴いたら友人の協力により材料を調達して、そこで焼き肉やキムチをはじめコリアンの食文化を広めていくつもりです。


あとこれは余談ですが、その祖母の方が経営者の祖父の方と焼き肉店をはじめ複合企業へと育てた際に、中央ヨーロッパへも出店をしていて、オーストリーではオペラ座で劇観賞の帰りからくるお客がディナーに焼き肉を食べるという、ちょっとシュールな光景もありました。また当時ではたいへん先駆けで、現地メディアによる「キムチづくり」に関する取材もありましたが、祖母の方は「自分のキムチが代表ではない」と断ってしまい、今ではたいへん後悔されているそうですが、キムチ自体は各家庭でさまざまであり、私はその祖母の方が受け継ぐキムチがたいへん好みであり、現在でもその焼き肉店で活かされております。


その源流は、どちらかというと「ポッサムキムチ」と呼ばれるもので、韓国ではなく北朝鮮などの北部で作られていて、前者に比べると「味の安定性」があって時間による劣化も遅いです。また漬ける段階のブレンドによって海の食材を豊富に使用し、「ミョンテ」などの干し鱈を混ぜたり、味に深みを増しております。


無論ミョンテの使用は韓国でも同様で、朝鮮全体のキムチづくりは複雑な味の構成によって成り立っております。だからレシピ通りつくっても「その味」にならなかったり、極めて高度な調理技術が要請されます。


こういう背景から、私自身もこの味を絶やしてはならないと思って、次の世代にもおいしい味を維持していくためにも、多くの人々に知ってもらいたいと思っております。




〈参考資料〉


・朝日新聞 2015年 1月5日 月曜日