<動画説明>

『週刊金曜日』では「差別と歴史修正主義」をテーマに
全5回の歴史講座を行っています。(詳細はこちら⬇)
http://www.kinyobi.co.jp/news/?p=2815
第2回目となる1月26日は、
「『行動する保守』は本物の保守ではない、というのは本当か?」
と題して行われました。
講師の能川元一さんは、哲学者として
「戦争」をめぐる現代日本の言説などについて研究してきましたが、
インターネットにおける歴史修正主義とレイシズムの実情に触れ、
「ネット右翼」を研究対象とするようになりました。
「右派」とネット右翼の違いは何か。そして、「左派」の実態は?
歴史講座を聴講した、共同代表の辛淑玉が突っ込みます。



在特会やネット右翼を批判する保守や右派陣営において、彼らネット右翼を「認めない理由」としてあげられるのが、「弱い者イジメをするな」とか「下品で口汚い」というものがあります。


しかしこれには「ウラ」があって、保守や右派たちの倫理・道徳観として「強者としての任侠主義」という「マッチョイズムなオトコ文化」なるものが存在します。



そうして「弱いことは『悪』」であり、総合的にみて下位な存在者と位置付けます。前述の思考を前提として、在特会がマイノリティという「弱い者」を「口汚く」罵るから「だ・か・ら・俺たちは違う」としてネトウヨを非難し、「守ってあげる弱者」に対しては「俺たち強者が『守るに値する存在』でないといけない」と基準を設け、つまりこれは女性差別にも当てはまる事実として「女(おなご)の分際で」という上から目線な「~の分際」意識がそのロジックが使われています。



私自身、右派や保守の言動に薄々気づいておりましたが、彼らのあの「上から目線の」雰囲気にどうも気になっていて、今回の動画でそんな精神構造があったのかと改めて理解し、自分たちが一人一人がオオカミになったつもりなのでしょうか。。。だとしたら滑稽と言わざる得ません。


これは反レイシズムの方々やリベラル勢力含め、マジョリティ全体に対する警告ですが、私たちは所詮大きな群れに属するヒツジたちに過ぎないのです。無論個々人の力は極めて弱く、それをマジョリティという数で補っているだけでそれから外れれば命を失う危険だってあります。



話は本題にもどって、保守や右派が考える「美しい弱者像」なるものが存在して、それは強者に対して常に「お上」意識でもって、「いつもみなさま強者の方々のおかげです」と畏(かしこ)まっていなければ「救済の枠」にはまらないのです。こんな暴論が日本では当たり前のように罷り通っているのです。ほんとうに呆れた話です。


私は連続記事においてマジョリティ側を強く批判をしてきましたが、日本においてのマイノリティ側を「常に劣った立場の者たち」としてみて、これは人種・民族・国籍・障害・性・出自・生活保護その他ありとあらゆる場面においての属性に適用し、「こいつらは対等なやつらじゃない」とあらかじめ結論づけて、非常に高圧的な立場でもって裁断し、彼らの標榜する「強さ」というものは「物をい言う弱者」を嫌い、そしてまた同時に「俺のメンツでもって庇護してやる」のだから偉そうにするんじゃないと、これは日本における「文句を言わない文化」(日本文学研究者 ロバート・キャンベル教授)にも通底するもので、またしても代表的な例として持ち出されるのが「女のくせに文句を言う奴は可愛げがない、高飛車だ」という女性をあからさまに蔑視し下に置くという様が、よく日常の風景によって思い起こされるかと思います。



人間は強さも弱さも兼ね備えた人間です。

そして誰しも自分の「弱さ」を認めたくないものです。



この日本社会において、特に「オトコ」で民族的にも「マジョリティ側」にいる人間について、それは私も含めた問題ですが、そういう「虚飾」をすべて取っ払って単身で海外へ放浪してみるのが一番の得策です。現実をまったく理解せず、なけなしの体裁や自我を保つために「マジョリティの意識」を持ってくるのは止めましょう。

日本の保守や右派の人間に対しては、「マジョリティのぬるま湯」から引きずりだすか、自ら出てもらって、自分の「弱さ」というものを徹底的に理解してもらい、下らない能書きは一切捨ててマイノリティの「経験を共有する」ということについて全力になって考えて下さい。


世界のいたるところの「熱湯」や「冷水」に面食らって、精神的にもショックで立ち直れなくても、歯を食いしばって立てる覚悟くらい持って下さい。




そういう「心のつよさ」について、マイノリティの人々はもうすでに当たり前に持っているのですから。。。








Green Day: Minority LIVE <Bullet in a Bible>