私自身、最近の政治にはとても不安視しております。

度重なる外交問題を理由に、去年の衆院選挙を堺にして右派保守議員の大量発生ないしそのブレーキ役である進歩系議員の縮小といった事態がおこりました。

まあ日本において、進歩系議員の土壌は極めて悪く自己を客観的に批判することに毛嫌いを持つ人々が多い事実があります。

アメリカのマンロー(Munro,W.B)という政治学者は、自身の著書『見えない政治』(Invisible Goverment,192頁)において政治に「振り子の法則」が働くことを提唱しました。

あたかも政治には時計の振り子のように左右に動くのごとく、動から反動への運動を繰り返すといったことが発生しそれを繰り返すとしたものでした。

これは人間の根本原理に関わる話で、人間は相い反するものを求めるバランス感覚があります。

『老子』は「反は、道の動なり」とし、道が動き、その<動>-動きが極限までゆけば振り子のように必ず本(もと)に戻って帰ってくる、それが<反>であると提唱しました。
これが「反動」という意味であり、自然な動きということをとらえた優れた言葉です。

つまり人間は元来「反動」的であり、油っこい料理が過ぎればさっぱりした淡白な料理を求め、単純な運動があきれば複雑な運動を求めます。これは思想においても同様です。

その意味から、政治現象も左右に「動・反動の法則」に従って動くということは本来好ましいことではあります。しかし、これがあまりにも極端だと話は違ってまいります。
そのために、被害を受ける民衆も少なくなく種々の弊害を招きイギリスやアメリカのような民主主的訓練の行き届いた国においては、左右に動く振り子の振幅も少ないで済みますが、かつてのドイツや昔今の日本においてその振り幅は極端に動きます。

それは理性よりも感情が優先され、自主的精神の欠乏から為政者のプロパガンダに利用されて、いいように世論が靡いてしまう結果があります。

また政治家にも同様のことが言え、思想面において偏った者が多く、現在においては右派がその独壇場にあります。 はっきり言って、右派なるものはどこの国でもいる希少価値の低いありきたりな存在ですが、そういった事情から何もしなくてもある程度の国民支持率を得ることが可能で「タカ派的発言」ひとつで票を得ることは実際に可能であり、それを外交問題とセットにして相乗効果を出すことが容易であります。

真に有用な政治家とは何かと問えば、アリストテレスの政治学にも述べられているとおり「中庸の精神」をもった政治家であり、それは並々ならぬ技量が必要とされます。
学識面においてはもちろん、人格面での識見が大いに要請されてそういう人は本当に限られた存在であります。

しかし国家を背負っていく以上は、そういったものが求められるのは当然でありそれを目指す者はひとつの覚悟をもって望んでいくべきだと思います。

このようなことを言って、随分と反感をもたれる方々は多いかと思いますが歴史的事実と照らし合わせて、思想の極のもとで存続した国家は大なり小なり存在しえません。
また仮にあったとしても、この先の未来において必ず是正を求められる時がきますし時代の精神である民主主義抜きでは今日の世界では通用しません。

現在の日本の場合だと、先の民主党の失政、いやそれ以前から続いた閉塞感から社会は内省的・閉鎖的になって東日本大震災を機に高まりました。

また外交問題という大きな課題も残っており、それが日本の右傾化を一気に加速させました。

しかしこれに近く似た歴史的事例が中国史において存在したのです。
今から1000年近く前にさかのぼりますが、当時の北宋時代に異民族の遊牧王朝の契丹(遼)や満州の金国などの軋轢から、経済大国であった宋の財政は一気に窮欠し、お金で平和が買えなくなって金国に大幅な領土を割譲され華北一体を失うという結果をもらたらし最終的には国が弱体化してモンゴルに滅ぼされました。付言しておきますと、外交問題で悩んでいた宋(北南)自体は極めて保守的(中華主義)な国家でありました。

今の日本も、戦後において戦争特需から経済大国になりアメリカとの同盟関係から多額の金額を支払って平和を買って(買わされて)いましたが、バブルの崩壊を経験して長い停滞状況に入り国家の借金は膨らみ、アメリカ自体も経済的に中国と結びつき、かつてのような日米関係もなくりなりました。

この流れはどんどん加速して、日本自体の存在価値も相対的に下がっていくのはほぼ避けられないでしょう。

そして先に述べたとおり、種々の「国難」から国自体は大いに右傾保守化しています。

私としましては、こういうときにこそ人々が両極に偏らない真なる政治を目指していくべきだと感じます。無論それは容易ではなく、思想面においても多種多様で中には人の命など何とも思わない者までいます。これを解決するのは現状において政府しかありません。その内訳として、従来の自然科学中心の教育から相対的に社会科学や人文科学の比重を増やすべきであります。ところが、その政府自体も右傾化に凝り固まった集団で改革もままならない状況です。

もはや人間というものは「間違い」を経験してその過ちに気づくのでは遅いのです。

その唯一の解決手段は、「過去」を通してでしか学べませんし現在の多様かつ膨大な現象の一般性を見抜く重要な学問として、歴史学が挙げられます。

そしてこの学問こそが、人類がいままで行なってきた良き例や悪い例の宝庫で、デカルトのいう「世界という書物」そのものなのです。

-追記-
2月24日朝日新聞『天声人語』抜粋要約

かつて岸信介首相は、ワシントン入りしたその日にアイゼンハワー米大統領とゴルフを楽しみ、一緒にシャワーを浴びた。翌日からの会談で、両者は安保条約を改定する方向で合意、岸が「政治生命をかけた大事業」が動き出す。安倍首相もオバマ大統領との顔合わせに期するところがあったのだろう。昼食を含め2時間。祖父が心血を注いだ日米同盟の「完全復活」を宣言してみせた。▼もっとも、米側の関心は文言より実利とみえる。コメなどの関税を守りたい日本をTPP交渉に引き込むべく、「聖域」の余地を残した共同声明に応じた。回りくどい悪文は、交渉の結果によっては例外もあり得ると読める。これで日本の参加が固まった▼首相の記念講演の題は「ジャパン・イズ・バック」。強い日本が戻れば、東アジアの安定や日米関係に資するとの信念だ。
アベノミクスへの自信ゆえか、おどおどした昔の面影はない▼アイクの時代、米国の懸念は東西冷戦だった。経済で独り立ちを図る日本を庇護したのは、ソ連や中国への対抗策でもあった。安倍政権の幸先の良さを認めた上で思うのは、3世代を経ても変わらない、極東の冬景色である。(2013.2.24)




アナーキー『右』



アナーキー『叫んでやるぜ』



アナーキー『ヒーロー』


-参考文献-
・大学資料
・加地伸行著『儒教とは何か』中公新書