皆様お待たせいたしました。


今回はナショナリズム史観論の続きとして皇国史観を説明します。


阿呆なネトウヨたち
愛してやまないあの皇国史観です!


それと、これからは前のような衒学者ぶったいかめしい文章は止めにして、出来るだけ日常の口語体で説明しようと思います。ただどうしてもアカデミックな部分においては専門用語を使わさせて頂きます。

(その時は随時注釈を加えますのでご安心を。)



本題に戻しまして、これは前の話で説明したゲルマニズム史観(ナ史観と同義)の延長であり、いわば日本版ナショナリズム史観と言っておくべきですね。


そしてこの話のセットとして近代の日朝史が重要なテーマとなってきます。


それではいきましょう。


時代は近代帝国主義時代。

西洋発の近代化の波は日本にも押し寄せ鎖国の防波堤を破りました。


ここで新しい概念として「民族」というものが出てきます。 



※これは日常レベルにおける「民族」ではなく、その由来となった学術面での「民族」です。



近年のナショナリズム研究において、2、30年ほどのうち研究者の間で定説になったのが、

民族とは「作られる」ものであり近代社会固有の現象とされる事です。


しかしながら研究者以外の人々の日常意識や種々の民族運動に携わってる人たちの間では、

あまり受けいられていません。


そして「民族観」の主な論争として、研究者たちがよく使う抽象的な言葉づかいの対抗図として、

 

主に原初主義VS近代主義本質主義VS構築主義表出主義VS道具主義(複雑なので省略)


というものがあって、その色分けにより意見がわかれます。


順番に説明していくと、歴史的解釈として原初主義は、民族を近代の産物としては捉えず太古の昔から存在していたとして、近代主義は民族の成り立ちを近代の産物と捉えます。


次に哲学的解釈として、本質主義(実在論)は原初主義と合わさって、民族自体は現実に実在しててかつ永遠不変のモノとして存在していると捉え構築主義は、民族に限らずさまざまな社会概念が一定の社会的・歴史的文脈の中で「つくられる」という側面を重視する考えです。



ややこしいですねぇ、私も書いてて頭がこんがらがってきそうです(笑)


本来はこれに文化概念論も加わってどえらいカオス状態になります。


それはまた次の機会にして、話を日本に戻りましょう。


つまり西洋で開発された「民族」という一種の国民統合装置が日本にも伝えられ急速に波及していきました。


それ以前の日本はというと、まとまりはそれほど強くなく、戦国時代末期では東西の地域差は激しかったし「日本」という意識もあまりありませんでした。


その後、織豊政権により国家統一がなされ領域国家(王朝国家)として徳川政権に引き継がれ、後の「国民国家」とよばれる一体性を醸成していったとされます。

※厳密に言えば、それがどれほど強固なものかは種々の見方によって異なります。



明治期に入ると、先にも述べた「民族」の概念を措定して強力な中央集権体制に基づく統一国家を成立させました。


それまでゆるやかなものにとどまっていた「国民」の一体感を強固化するために、天皇を頂点とする政治的権威の単一ヒエラルキー構造の確立を目指しましたが、事情はそうすんなりいきませんでした。


理由として長い間政権の座から離れていた天皇自身、全国において知名度が決定的に欠けていたのです。江戸時代の町民に聞いたら「テンノー? 誰だよそれ(笑)」ってなレベルです。


その惨状を改善すべく導入されたのが「国家神道」でした。


具体的行動策として、祭政一致と神仏分離が進められ神道を国教にする動きすらありました。


まあ結局失敗しましたが、国家神道自体近代国家形成において作られた、いわば第二の「儒教」(儒教に失礼かも)というべきものでそれまでの民間信仰として神道の土俗性を切り落とし、特定の神々(記紀神話に出てくる神々、皇統に連なる人々、国家に功績のある人々)だけを祀る対象にしました。


「国事」に殉じた戦死者を祀るためにつくられた招魂社の頂点である東京招魂社が別格官幣社靖国神社へと改組されました(1879年)のは、その最大の例であります。


プロシア憲法を模した明治憲法発布(1889)の翌年には教育勅語(中国のパクリです)が発布され、「天皇」から「臣民」への命令として列挙された諸道徳が教育の中核におかれました。


これに前後する形として、全国のほとんどの学校に天皇皇后の「御真影」が下賜されて礼拝・崇拝の対象となりました。


ううむ、そう考えると日本は北朝鮮を個人崇拝の国だのと全然批判できませんね(笑)



大体こんな感じで話をしましたが、このようなバックボーンがあって「皇国史観」は成立したわけであります。




※参考文献 塩川伸明『民族とネイション-ナショナリズムという難問』 岩波新書