前回まで歴史学の一応の概要を述べたが、今回は先にも提示した歴史観の解説、特にナショナリズム史観皇国史観について述べる。


前者は19世紀初頭ナポレオンの大陸軍侵攻により神聖ローマ帝国の崩壊並びにプロイセン王国に壊滅的な被害をもたらした。そこでプロイセン内部では急速に民族主義・国民主義・国家主義が台頭し国家的統一を成しうる為に三者統一の学芸奨励、つまり政府主導の民族主義を目覚めさせ祖国愛をかきたてる歴史観、つまりナショナリズム史観が成立した。

この運動は1810年ベルリン大学設立に合わせて急速に波及し、最終的には哲学者ヘーゲルによって完成させられたが、この人は「存在としての歴史」、「記述としての歴史」を重要視し有名な『精神現象学』を発表する以前まで盟友だったシェリングとも意見を同じにし、共にドイツ観念論界ないしロマン主義派の二大巨頭とも言われ、ヘーゲル自身はその上にたって近代哲学の綜合者として、その理論は西洋思想界を抜け近代化という装甲をまとい世界を支配するまでに至る。


ヘーゲルが提示した歴史発展理論として、主に「弁証法」を使用する。

弁証法は、所謂「認識発展段階として経験的に確立されていくプロセス」つまり経験の積み重ねによって自己の精神を向上させていくもので、最も始めの段階として幼児期の肯定(定立)→青年期のその否定(反定立)→成人期のその否定の否定(両者の総合)けだし最終段階として、定立と反定立間における止揚(前者を否定するがその保存の上で後者が成り立つ)が行われる。

つまりこれをそのまま世界史に措定したわけである。

そしてこれが後の「ヨーロッパ中心主義(ユーロ・セントリズム)史観」となり「近代化理論」として世界を席巻することになるのだが、内容はヘーゲル著『歴史哲学講義上・下』にて詳しくのってあるので機会があれば参照して頂きたい。今すぐ知りたい方はここで簡単に説明すると、ヘーゲルが提唱したナショナリズム史観(ゲルマニズム史観)キリスト教の直線史観(永遠な存在である神から措定して歴史学の発展はつまり現象界といわれるこの世は神の被造物でありその直線的かつ不可逆な時間軸において歴史ができ、楽園追放後の人類に対してキリストの贖罪により再び楽園を取り戻す救いの機会が与えられ、それに向かって長く辛い努力を続けるという、普遍者たる神の主催下において歴史は時間的に一度限りであり、終局目的に向かう直線行程でありそれは人間の意志(精神)で達成される歴史観である⇔ギリシア循環史観)の原理に基づき、世界史の始まりが古代オリエントから始まり、ギリシア・ローマを経てゲルマン時代にはより高次化し近代のヨーロッパ諸国によって完成させられるという極めて一元文化論的な見方であり、それにはアフリカ・アジア・アメリカは含まれておらず、『歴史哲学講義』にてもこれでもかという程、アフリカ・アジア蔑視の内容で、前者は動物以下、後者は植物国家と称しゲルマン民族こそ至高かつ自由の精神を持つ偉大な民族ひいてはキリスト教国家だけが時代を切り開き、最後の審判の日に歴史を完成させる。と言い、それが西欧帝国主義の権威になった。

つまりヘーゲル自身観念論哲学者であり、歴史の基体を神ならぬ普遍精神としてアプリオリに措定しその可能態を西洋諸国に見出し現実態として実現していく過程を世界史の必然の道としたのである。そしてそれはある種の理性天国論として描かれており、理性が原初段階で専制的かつ停滞的な東洋世界から、万人の自由を約束する西洋世界の理性を弁証法的に最高段階としたのである。

そして、この思想が帝国主義時代に入ると巨大な経済力と政治力ないし軍事力をもつ西欧列強によって強力に推し進められグローバルスタンダードとなった。


読者の皆様にも考えてもらいたいのが、現在でも普通に使われる「近代化」という言葉に対して少しの違和感もないところである。この「近代化」という概念こそが、今まで述べた全ての内容を含むものであり現在の比較論における序列化の温床でもあるということを。

そして現在における西洋東洋対比もユーロ・セントリズムの賜物であって昔のアッシリア・ギリシアにおける単なる「東西」の区別ではなくなっている。その最たる例として、日本が自ら「極東」(ヨーロッパからみてもっとも遠いアジア)と名乗る事で、これは甚だおかしい事であるが今でもまかり通っている現実である。


今回は少し長くなってしまったので、皇国史観についてはまた次の機会にしようと思う。