歴史学とは俗に「素人学」とも揶揄されるが、本当のところはかなり高度な学問でもある。

その前ぶれとて史学概論があるのだが、英語では「Introduction to Historical Science」とされドイツ語では「Einleitung in die Geschichtswissenschaft」(アインライトゥング イン ディー ゲシュイヒトゥスヴィッセンスシャフト)と言われ、歴史学の入門とされている。つまりこの学問を踏まえてなければそもそも歴史学を正確に捉えることはできず、まったくの誤謬に陥ってしまうのである。

歴史学は他の自然科学や社会科学とは違って、技術的な鍛錬を受けなくてもある程度は通じる学問ではあるがやはり専門的領域を目指すならば相当な体系だった哲学的知識や世界史レベルでの歴史の知識量が必要とされる。このブログではそんな歴史学に対する適切な姿勢を説明していきたいと思う。


ざっと分析して、歴史学は一般論個別的な研究の二種に別れ、前者は主に理論学分野である哲学や科学両者を主軸とし、後者は主にウィンデルバントなどの新カント派の学問分類法における法則定立学(自然科学)、個性記述学(歴史学)の後者にあたる分野である。

そして近代までにおよそ確立した発見理論(事実尊重主義)を基に、現在まで認められてる各々の歴史観をかぶせて歴史学と向き合うのである。


ここで注意したいのは、「何をもって『歴史的事実』を『事実』として取り上げるのか」という問題である。

これは先に述べた歴史学(理論学・記述学・歴史観)の見方に由来するのだが、哲学的アプローチにおける歴史学の一つの命題として「不動の事実は存在しない」という事、しかし同時に「歴史は各歴史観を中心とした議論の中で変動・修正されるものである」という事である。


これをアリストテレス・アクィナス論的にまとめると、各歴史事実の根本原因(n)は既に神のみぞ知る神学的領域にあり、それを哲学的悟性をもってしていかに真理まで近づくことが出来るかが重要である。


それを踏まえた上で考えると、もはや「失われた事実」に対しては何もわからないが、その事実に少しでも近づく方法として先に取り上げた歴史学の三つのオルガノンが登場する。

しかし注意したいのは、これらの使用方法において特に「歴史観」の問題でそれ自身、歴史家自身の外的要因(身分・地位・階級)や内的要因(思想・価値観)、時代に左右されるという点である。

例としてドイツ・プロイセン学派の国家主義史観(俗にナショナリズム史観)に基づくヴィルヘルム・ビスマルク体制の擁護イギリスの歴史家グロートの自由主義・共和主義に基づくローマ史の執筆、そして近代の終わり頃まで続いた日本の皇国史観などが挙げられる。


これらの特にナショナリズム史観・皇国史観に関しては後の記事でも詳しく記述するが、現在の目から見てみるとかなり錆び付いた歴史観であり、このような歴史観はおおよそ議論の対象外である。

それらを鑑みたうえで、つまり「歴史的事実」は恒真的かつトートロジーな「真」は存在せず前述したとおり各種の歴史観によって書き換えられていくものである。そしてその歴史観自体も議論により常に廃棄処分や発展が行われ非常に流動性が高い。それを基底にし、歴史観それ自体については論理的推論のもと矛盾が生じなければ、歴史記述の上で事実は立証される。


付言しておくが歴史観というものはカーの提言(歴史よりも歴史家を見る)通り、歴史的事実は歴史家の認識そのものである。なんども同じことの繰り返しで恐縮だが、フランケルの「屈折した鏡」により歴史の本当の「真」はなく歴史家の「歴史観」によって作り出された二次的なものに過ぎないということである。


今回はおよそ歴史学の準備学である史学概論について、僭越ながら解説させてもらったが今後の歴史学の本旨を語る上で非常に重要な内容であり、歴史学を志す方への助けとなれば幸いである。