敬愛する、『道』 | 愛と幻想の薬物

愛と幻想の薬物

病んだ精神を癒やすために、体験を基にし、エッセンスとしてのホラを加えながら『さいはての地』での記憶を辿ります。
妄想、現実、ありがちな経験をもとにした物語です。

昔の…今からもう三十年前、僕がまだ高校の二年生から三年生に移る春休みに出逢った、後にある意味にとって人生のベクトルを変えてくれた…先輩たちがいた。


当時まだ僕は薬物どころか、酒も飲まない普通の?高校生でした。

高校はみんなバラバラだったけど、同じ中学校出身の不良系(笑)のツレと連んで、退屈をしのいでいただけだったと思う。


そんな頃のある春の日、高校の同級生が音楽スタジオが催すイベントに出演することになり、出演者でもある高校の同級生がそのイベントに遊びに来ないか?と誘ってくれた。

大阪の万博にあるホールでのライブイベントだった。


僕は友人と会うため、イベント会場の楽屋に勝手に入っていくと、広い楽屋の片隅に

『真っ黒い格好をした、やたら美形の大人の人たち』
がいた。
 

友達のライブの内容は当時のツレの自主コンサートと似たような、有名なヘヴィメタルバンドのコピーバンドなので
『ふーん』
とも思わず、退屈な春休みの暇を潰す長閑な時間に過ぎなかった。


そのあと、しばらくして始まったのが、先ほど楽屋で見かけた

『真っ黒い格好をしたやたら美形の大人たち』
のライブだった。

なぜだか、ボーカルの人(笑)が会場に訪れたファンから花束を貰っていたけれど(笑)。

そのライブの内容は、まだ音楽のこともバンドのことも、なんにも知らない僕には、
ある意味センセーショナル(笑)だった。

なんせ、ライブハウスに普通に出演しているバンドのことなんかロクにしらない。


その人たちはアメリカのバンド『クリスチャンデス』や『サザンデスカルト』を彷彿(勿論まだまだガキだった僕は知らなかった)する、今でいうゴシック(ゴスロリのルーツ)…我々の言うポジティブパンクの音楽だった。


その人たちのライブは、何も知らないチェリーな僕(笑)には格好良くて、その時の僕は

『今日のこのときを逃したら、二度と知り合えない』
そう思って、本番終了後のその

『やたら美形の真っ黒い集団』
に楽屋で話しかけた。

そのうちの美人の女の人と、缶ビールを飲んでる人が、戸惑いながら話しかける僕の相手をしてくれて、
バンド名(もの凄く読みにくいスペル)と、次のライブスケジュールを教えてくれた。


・・・。


後に知ったことだが、

このとき、後にお世話になるこの黒ずくめの方々(先輩ら)は、
たまたまこの時に出会った歳の離れたガキの僕を、
バンドのローディー(見習い、召使い、パシリ)にスカウトすると、勝手に決定していたそうな(笑)。


・・・


十七歳だった僕も、今は四十七歳。

長い年月のあいだに。
先輩たちも、色々な考え方の違いや、仕事や環境の違いなどから、何度も離れたり集まったりを繰り返したけれど、

僕は二十歳になる前に、その先輩のバンドのボーカルの人に些細ないざこざから刃向かい、後輩として可愛がってくれた立場から離れた。


このバンドを通じて、ブログに登場するカズヤさんと知り合う流れ(キッカケは違う、この先輩たちはカズヤさんと同い年で親しかったけど、五つも歳の離れた僕はカズヤさんに勝手にビビっていました)になる。


人生を振り返ると、結果的に僕が沢山の不義理をした、この『最初の先輩たち』が
僕の未来を…『オレ主義』を貫ける強さを持てる人生を歩む機会を与えてくれたのです。

このブログでは僕の音楽活動の話については特に触れないけれど、

僕にとっては、この先輩たちに触発されて人生のベクトルを変えた瞬間から、
確かに犯罪行為を屁とも思わなくなる始まりの一つでもあったけれど、
自分に自信を持てるように未来を開いてくれた奇跡の出逢いだったと思う。


そのバンドの一人は、今は社会的な立場で、活動をしていて、
多分僕のことなど青春の思い出からも忘れられているのかも知れないけれど、
ましてや前科者になった僕の存在など迷惑以外のナニモノでもないけれど。


じきに尽きるこの人生を振り返るとき、
薬物よりも何よりも、全ての始まりになった先輩のバンドへの感謝だけは、

僕の生涯からは決して忘れることはできない。