旅にでたい | Half-A-Room

旅にでたい

「カメラ日和」という雑誌の5月号を購入する。

表紙があまりにも可愛かったので、特に読みたい記事がありそうでもなかったのにもかかわらず衝動的に買ってしまった。


「さあ、旅に出よう。」

という表紙のキャッチコピーを見た途端、強烈に旅に出たくなった。


旅をしたいと思ったことは殆どない。

友人などを見ていると、アルバイトで貯めたお金をつぎ込んで旅行に出掛けたりしているみたいだが、その気持ちはあまりわからなかった。

長期休暇などがあると必ずといっていい程聞かれるのが、

「旅行には行かないの?」

その質問にははっきり言って少しうんざりしていた。

旅行が嫌いなわけではない。

ただ私には、休みになればどこかへ旅行に行く、という発想自体がないだけなのだ。

家族があまり旅行をするたちではないことが影響しているのだと思う。

行ってみたい場所、はいくつかあるが、お金もなく、ましてやバイトでお金を稼いで、それをつぎ込んでまでどこかへ旅行したいという気持ちはさらさら無かった。

だから、当然のことのように旅行はしないのかと訊かれるのは苦手だった。

それは旅行に限った事ではないのだけれど。

よのなかの多くの人がしているであろう何か、を前提として質問をされるのは苦手だ。

昔よく聞かれたのが、「携帯を買わないの?」だった。

私は高校を卒業するまで携帯電話を持っていなかった。

当時ははもうほとんどの高校生が携帯電話を持っている頃であったので、持つ気配すらない私を不思議に思ったのか、友達はしばしば私にそう聞いた。

私に特段ポリシーがあったわけではなく、ただその時は必要だと思わなかったので持たなかっただけだ。

それなのに、携帯を持ったり、それを欲しがることの方が当然だというような態度が嫌だったし、皆が一様にそう聞くのでうんざりしていた。

皆が欲しいと思うものを、どうして私も同じに欲しがるはずだと考えるのだろう?

「携帯を持ってますか?」なら問題はない。

しかし、「買わないの?」という否定形での疑問文は、既にそこに「買う」とゆうことが前提として含まれている。

似ているようで全然違う。

何の気なしに聞いているのかもしれないがいちいちひっかかる。

自分と、或いは多くの人と、私が同じに感じているとどうして思うのだろう。

自分にとっての当然と、相手にとっての当然が違っているはずだとどうして思わないのだろう。

けれどどこかで私も使っているに違いない。


えーー

とにかくその表紙を見た時、あまり旅というものに興味の無かった私がなぜか、モーレツに旅に出たい衝動にかられたのだった。

知らない場所に行きたいと思った。

違和なるものに触れたいと思った。

見たことのない風景を見たい、と思った。

触れたことのない価値に出会って、世界の途方もない広さに途方に暮れて、自分の小ささをどうしようもなく感じたいと思った。

ぎゅうぎゅう詰めの自分だけの価値から、楽になりたいと思った。


中に名古屋の写真が載っていて、ああ名古屋もいいなあ、

ヨーロッパや、中国にも行きたい。

人生は、未知との遭遇からはじまる。

とか何となく言いたくなったからゆってみた。