neko | Half-A-Room

neko

洗濯物を干していたら、お隣の屋根に白黒のぶち模様の猫が座っているのが見えた。見かけない猫だ。

声を掛けてみる。
「ニャァァアーオ」
すると驚いたのか、猫は目を見開いて辺りを見回している。周りには他に誰もいない。私と奴のみである。
我が意を得たり。猫語が通じたのだ。調子に乗って続ける。
「ニャァァアアオ」
猫はまだ怪訝な顔をしてキョロキョロしている。こちらをちらっと見たような気がするが、すぐに目をそらしてしまう。
今度は威嚇してみる。
「ニ゛ャア゛ア゛ア゛ア゛」
何だかびびっている様子である。

洗濯物を干し終えたらまた遊び相手になってもらおうと思っていたのに、目を離した隙に猫はどこかへ行ってしまった。

私の家には猫がいる。なかなかに美形の雄猫である。私は彼相手に毎日猫語の訓練をしている。だが通じているのかいないのか、大抵は無視される。日本語で話しかけても同じであるが。

先程の猫は私の鳴き声に本物の猫がいると思ったのだろうか。

思うに、どんなにそっくりに真似ていても、根本的に猫と人間の発する周波数か何かが違っていて、猫にとってはただの人間の声にしか聞こえないのではないかと推測している。

ただ単に、変な人間の変な声が聞こえたから警戒していただけかもしれない。


私はいつも母を騙そうとしばしば猫真似を試みるのだが、成功するのは100回に1回くらいである。
猫に慣れていない友達などは私の鳴き真似を本気で猫だと間違えてくれる。「え、今の、猫?」

してやったり。


最近家では猫語だけでなく猫ひろし語まで使用するので大変である。猫ひろし語といっても単に日本語で「ニャー」と言うだけなのだが。しかし言う方はた易いが言われた方は厄介である。
「ご飯食べる?」
「ニャー。」
これではどちらなのか分からない。ニュアンスや顔の表情から読み取るしかない。しかしかなり高度な技術を要するため、20年一緒に暮らしている玄人でさえ至難の業である。
答えがイエスかノーの場合はまだいいが、もう少し複雑な質問だと読み取りは更に困難になる。
「おもち食べる?焼そばもあるけど」
「ニャー。」

私は返事だけでなく挨拶にもこれを使用している。
「ただいま」の代わりに「ニャ」と言ったりする。なかなかに便利な言葉である。

私は猫に目がない。家に一匹いるにもかかわらず、外で出会えば必ず話し掛ける。と言っても「こんにちは」とか「元気?」とかその程度である。
けれど犬も好きだ。犬は飼ったことがないが、特に大型犬など、見守ってくれそうな目をしている気がする。

犬が好きな人には、自分を一心に慕ってくれるから好きだという人もいると思うが、そんなの当たり前過ぎると思う。

思い通りにならないからこそ可愛いのだ。自分を好いてくれるものが好きだなんて、ただの自己愛じゃないかという気がする。


うちの猫は大抵寝ている。寝て起きて、食べて、また寝る。

その非生産的な暮らしぶりはまるで自分を見ているかのようだ。
猫の魅力はその気ままな性格などいろいろあるが、何に一番惹かれているかと言えば、その造形的な美しさに、だと思う。
完璧なのだ。

背を丸め、前足を揃えてちんと座っている姿など見ていると、何て美しい形なのだろうと思う。
ひとつひとつの動作にも全く無駄がない。

高いところから降りる時のしなやかな動き。

長く同じ姿勢でいた後にのびをするやり方。

バランスを整える方法、自分が心地良くなる方法をちゃんと知っているのだと思う。

その姿を見ていると、人間は何て無駄ばっかりなのだろうと思う。

でもその無駄さ加減は嫌いじゃないし、人間が人間たる所以であるとも思う。


けれど、もしかしたら人間も猫と同じに完全なのかもしれない。

何も足りないものなんてないのかもしれない。

美しいのかもしれない。

自分では気が付かないけれど。