少年は荒野をめざす
「少年は荒野をめざす」 吉野朔実
これまでに出会ったあらゆる表現作品の中で、一番私に影響を与えたであろう作品です。
この漫画を初めて読んだのは小学生の頃でした。
家の本棚に第一巻が置いてあったのです。買ったのは母でした。
幼い私は、その本棚からよく漫画を物色しては読んでいました。
キスシーンの度々登場する漫画を読んでいたのを母に見つかり、「そんな本、読んじゃだめ」と禁止されたこともありました。
小学生の私がこの漫画をどこまで理解していたか、今となってはわかりません。
けれど、何かが私を強く惹きつけたのでしょう。小学生のお小遣いで、全6巻あったこの漫画を全部買い集めたのです。
以来ずっと、それは私の本棚に並べられ、幾度となく読み返されています。
読み返す度に「そうか、そうだったんだ」と新しい発見があり、何度読んでもその深さに追いつけないような気がします。
主人公の15歳の少女は私そのものでした。
自分を好きになれず、成長することや、自分が女の子であることさえ受け入れられなかった自分自身が、まるで鏡に映したように、そこには存在していたのです。
私は彼女の想いをなぞるように、同じ痛みを生きていると感じながら成長していきました。
大人にはなりきれず、かといって完全な子供ではなく、少女になっていく同年代の友人たちに置いてきぼりにされたように感じ、自意識ばかりが肥大して、心も身体も持て余すしかなかった日々。
当然の事のように軽々と“女の子”に変身を遂げたように見える彼女たちは、私とはまるで別の生き物のようでした。
世界は恐怖でしかなく、あまりに広すぎて、私には途方に暮れるしかありませんでした。
初めて読んだ時には小学生だった私は、いつの間にか主人公の年齢を追い越し、もう思春期とは呼ばれない年齢になりました。
友人たちよりも大幅に遅れて、少しずつ自分の中の“女の子”を受け入れられるようになった今も、あの頃のいくつもの問いは未だ現在形のままです。
「どうしたら自分を好きになれるの?」
「いつか自分が自分自身であって良かったと思う時が来るのだろうか?」
今もそうした問いの完全なる解答は見つかりません。
探し続けて、たまにふとその答えの欠片のようなものが目の前をよぎった気がして、そしてまた見失ってしまう。
けれどその欠片をもう一度見たくてまた、生きたいと願ってしまう。
そんな風にして今も途方に暮れながら、あのぞっとするほどに鮮やかな15歳の私を、永遠のように繰り返しているような気がします。
それでも私は、あの頃の痛みが完全に取り出せなくなってしまうことを恐れています。
まるでその日が来ることが、私の存在の終わりであるかのように。
ページを開けば、そこにはいつも同じに存在しています。
あの頃の、そして今現在の、光も、影も。
※私の持っているものはマーガレットコミックス版ですが、現在集英社文庫版が出ています。
