私の母、ママン(73)。
2年前の10月ごろ、父が手術をした頃から記憶が曖昧になりはじめました。
<進行経緯>
では、父を心配しておかしくなったのか、といえば違います。
お見合い結婚の父と母
父と母はお見合い結婚。
婚期を逃した母は「お給料がよかったから」という微妙な理由で、父と結婚。
父は自分にしか興味がない人間で、母にも子供にも興味を持ってくれはしませんでした。お金には不自由はしないけれど、それだけで家族団欒はない家庭でした。
入院の際も、母と私は父の健康を心配して通院や病院選びはするも、ドラマチックに悲嘆にくれるということはありませんでした。母は、とても現実的で、すぐに慌てるサザエさん的性格ながらもしっかりと頼れる人でした。
引き金はお金の心配?
しかし入院時に父が持ち込んだ通帳全冊に長いことお金が入っていないことに私が気づき、それを母に伝えた頃から、私が使い込んだと思い込んで泣いたり喚いたり、そしていっきに記憶がおかしくなってしまいました。
父は、貯金がなくなっていることを隠蔽したくて持ち込んだようです。鍵をかけていないベッドサイドの引き出しに通帳とキャッシュカードを見つけ、盗まれていないか確認するために私が中身を見て発覚しました。
現実逃避じゃなかった
「おかしいな」
とは思いました。
でも、当時は「一時的なパニック」なような気がしていました。あまりにもしっかりしていた母がまさか認知症になるなんて思ってもいませんでした。
母が放棄したようにみえた半年にわたる入院中の父の世話や、仕事に忙殺されていた私は、これ以上休みも取れず母を放置してしまったのです。
どうしよう?でも通院拒否…
「なんとかしないと」と思ったのは、父が退院して帰宅した2016年春。
明らかに前と違う。
父と相談して、「一回病院にかかってほしい」と手を変え品を変え頼みましたが、そのたびに激昂。
「そんなに人を“キチガイ”にしたいなら、ここで死んでやる!」と刃物まで取り出す始末。そのため通院も諦め、1年を過ごしました。
この頃から、「認知症」というものだろうなと私も理解しました。
「認知症なら病院へ」的な宣伝を見ると、心は焦りますが、なんともできず。悶々としながら日々を過ごしていました。
その後、通院を嫌がるどうやって通院までこぎつけたかなどはまたの機会にお話しまするとして…
<現状ダイジェスト>
- 小康状態だが記憶のスパンが短くなった。
- 同じことを5〜10回は聞いてくる。
- 基本的に「新しいことは覚えられない」が、1ヶ月前に紹介した私の恋人のことはきちんと覚えている(嬉しいのだろう T_T )。
- やる気はある。
- 父の介護は、基本的に母がやってくれている。
- 調理はあやしくなってきている。
- お金の話に敏感なので、しないようにしている。
- 得意なものは、小銭出し。小銭が余らないように、きちんと出して買い物をする。