コロナうつとスピリチュアルアートセラピーについて | 沖縄北部でポツンとひとりで暮らしてます。

沖縄北部でポツンとひとりで暮らしてます。

社会に出てから半世紀近く
いろんなことを体験しました。

もうすぐクリスマス
そして新年を迎えます㊗️

沖縄も急に寒くなって
冬は嫌いだけど、
日本列島縦断のお絵描きの旅に出たいです。

こんな日々の想いを綴ります。

コロナうつ対策のいちばん効果的なのは、

遊ぶことです。


それができないのはスピリチュアルエマージェシー、魂の危機です。

メンタルヘルス対策をしてこなかった緊急事態宣言が、スピリチュアルエマージェンシー、コロナうによる自死の悲劇の原因です。

都知事や都の職員、国や厚労省、医療機関の責任は重いです。

意図的にしなかったのは罪が重いです。


コロナうつにならない為には、

生産的なこと、意味あること、価値あることではなくて、本当にやりたいと思ったことをすることで、魂を解放することです。


わたしは、緊急事態宣言下でもドライブしてました。


してはいけない、やってはいけないというメディアからの洗脳で、気を回しすぎた外出自粛、引きこもりがコロナうつの最悪のプロセスです。


実際、緊急事態宣言下では、ビーチも駐車場も閉鎖されてる所が多く、いろんなお店もお休みしてて普段の生活にはなりませんが、街の様子を見ながらあちこち散策しました。


ある意味、緊急事態宣言下の夜の街並みを眺めて、どれだけダメージを受けてるか、そうではないか、この先、定住するために、引っ越して住むことを考えるととても基調な情報を得ることができました。


それでも、未だに離島巡りは保留にしてますし、緊急事態宣言が明けても、それほど大きな変化はありません。


むしろ、緊急事態宣言が明けてからの方が、遠くへ出かけることが減りました。


人の多い場所はあまりリトリートスポットとしてふさわしくないので、もともと地元のひとしかあまり行かない所の方が落ち着きます。


いちばんいいのは、緊急事態宣言下でも普通にリトリートスポットとして立ち寄れる場所です。


緊急事態だからこそ、コロナうつにならないように自由にリトリートできないのではわたしにとって、魅力はありません。


本当はどうしたいのか?

親や上司、社会やマスコミの発言を受けて考えるのではなく、本当はどうしたいのか?

自分で考えることがどんなに難しくても、他人の論理で動かないことがコロナうつの予防の大前提です。


幸い、沖縄はクルマ社会で、那覇近郊のモノレール以外は電車がないので、ひとりでクルマの中だけで1日を過ごすことができます。

人との接触は食糧の買い出しとトイレくらいで、宇宙船で宇宙旅行にでも出掛けたと思えば平和です。


友人、知人とはzoomや LINEで顔を見ながら話せるし、自分にとって本当に大切なことを考えると、生きることで、遊ぶことほど大切なことはないと思いました。

というか、生計が成り立つなら働かなくても生きてけるわけですから、社会性のある行動よりも、ひとりで楽しむ時間が有り余るほどあると、本当にやりたいことが見えてきます。


コロナうつの傾向があるかどうかの判断は、何かに夢中になって遊んでる時間がどれだけあるかにかかっています。


遊ぶ元気はあるけど、働く元気がない、勉強する元気がない、そこがコロナうつのボーダーラインです。



思考停止を呼び、自由な行動を束縛する自動思考、コロナ禍洗脳から自分の魂を解放するスピリチュアルリトリートを積極的に行い、スピリチュアルグロース、魂の成長のチャンスを掴むことです。


不法行為、自傷他害さえしなければ、何をしてもいいんです。


あとは、真の個人の選択です。

全ては自分で決める、そのステージから降りないことです。


気をつけないといけないのは、社会的洗脳が創り出している意識の世界です。

意識的思考をしている段階では、本当に自分のオリジナルの思考ではありません。


ビジネス、政治、教育、医療、法曹界ですら、ほとんどが、去勢された自動思考の世界、合目的的な意図で動く世界です。

表面的な欲望や願望すらオリジナルのない世界です。

その世界はAIに置き換え可能です。

無意識の底にあるものこそが深淵なる自己の貴重な世界です。


無意識の底にある世界は普段は意識の表面には出てきません。


アートワークをすると、それが、出てきます。

自分でも気づいていない自分が現れます。


今日はスピリチュアルアートセラピーの世界が少し表に出たと思います☺️