高校時代から続けていて、
カラーリングと、野放しにされて伸びるだけ伸びきった後ろ髪を自分で処理出来なくなった時だけ美容室に行くのですが、
今回、半年振りに美容師さんにお世話になりました。
髪の量がハンパないので
いつも自分ですいたり、ツーブロックにしたりと、重くなったと感じる度にちょいと手を加えていたのですが、
そうは言っても、
なかなかすけずに伸び放題になっていた僕の後ろ髪。
全体的に女性のボブみたいな髪型になっていたので、今回はバッサリと、横も後ろも刈り上げていただきました。
前髪も、ON眉毛辺りまで切って視界良好、これで風の強い日も安全にデリバリー出来るわけですが、
今回担当して頂いた美容師さん。
彼もそろそろ独立を考えているらしく、
トリマーと美容師ってやっぱり似てる部分も多いなーと思いながら、独立話に花を咲かせておりました。
半年後、まだ在籍してたらまたお願いしますねーなんて、冗談半分に挨拶しながらも、
クイックスパまでして頂いて頭皮の血行グングンUP、気分高らかに家路に着いたわけですが、
もう昼間といえばポカポカ陽気で
だいぶ暖かくなり、
帰りに歩いていると、
道端でちょこんと顔を出したタンポポに遭遇。
先日は
デリバリー中に信号待ちをしていると、
卒業式帰りと思しき高校生集団が、卒業証書が入っているであろう筒を持ちながらワイワイガヤガヤ通り過ぎていったのですが、
あぁ、もうそんな時期かと、別れと出逢いの季節だなぁなんて、なんとも言い難い寂しい気持ちになったわけです。
高校の卒業式といえば、
僕は自分の卒業式で、在校生に向けての答辞を読んだのですが、
うちの学校、答辞の最後には自分の好きな詩で締めくくるという、慣わしというか伝統というか、そんなようなものがあるため、
当時は僕、推薦で大学が決まり、みんながセンターに向けてのラストスパートをかけている最中、早々と暇を持て余し、
もう授業も部活もないってのに、毎日学校に通っては、何をするでもなく合格の決まった推薦組でぺちゃくちゃたむろしていたのですが、
その推薦組を図書館に駆り出し、みんなして僕らの卒業にぴったりな詩を探しに探し明け暮れた記憶があります。
卒業式に合うような詩ってのが、これまた探せば探すほど五万とあり、むしろ選別するのが大変だったのですが、
そんな中でもこれだ!!とぴんと来たものが、ポエム界でも有名どころ、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」というこちらの詩です。
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
これが見事に、僕の答辞にマッチング。
と、いうか、これに合わせて答辞を書いたようなものなんですが、
胸に込み上げるものを抑えるために軽く咳払いしながらも、詩の最後の
ばかものよ
の部分だけちょっと強めに言って、シーーンとなった、かすかに啜り泣きの聴こえる体育館の余韻を密かに、しんみりと味わったことを覚えています。
今でも、この季節になるとこの詩を思い出し、初心に戻る。と言うと大袈裟ですが、当時の決意みなぎる卒業式を思い返しては、
ばかものよ
と自分に言い聞かせたりもしています。
他の国の事情はわからないけれど、日本は春夏秋冬、毎年同じ時期に同じ季節が巡ってきては、その度に四季折々の行事があり、
こうやって思い返しては懐かしむという、初心に戻りやすい環境というか、それ故に時の流れを感じやすいというか、
でも社会人になると、四季折々の行事ってもんが中々なくて、若干寂しさを感じながらも、子どもが出来たらきっと楽しいんだろうなー、早く子ども3人欲しいなー...
なんて、
タンポポに始まりこんな話にまで発展させておきながら、結局まとまらずに終わらせてしまうあたり、
私生活でもオチのない僕の今後の課題となりそうです。
と、
前置きが膨らみすぎていつもなかなか本題に入れずにいる僕ですが、
昨日はジュニアトレーニングについて勉強してきました。
先月は、パピートレーニング、つまり仔犬のしつけについて、座学と実践交えて勉強したわけですが、
今回はジュニア、もう成犬になった犬のトレーニングです。
覚えているうちにまた書こうと思います。