神戸市の2号線で紹介を受けた。
その後に大阪にてレゲエのライブで唄うとの事で、初めてジャパレゲのイベントに行きました。

その時期は三木は、まだまだ素人で、小さな箱で『むちゃくちゃやんけ』を見たのが切っ掛けで紹介を私にした側は京都のDJ軍団【平田興業】のCruが三木の産業大学の同級生(古川)で、親友関係?か知らんがメンバーの1人で、三木はレゲエ、古川はヒップホップDJとジャンル別に卒業したと聞いている。

その時期に年齢は古川にも私にも同じ歳と聞いていたが、最近ネットで公開してたので、約3歳ほど騙していたことを最近に知った。

それから平田興業のCDに三木道三の初曲でデビューした。本人は大阪で『ジャパン1番』でデビューしたと聞いてる方々が多いかと思うが実は京都でデビューを果たした。

曲名は忘れたが…

その後に私の日本で一番有名となったホームページで、インターネットデビューを果たした。

*三木道三の名前の由来は戦国時代で有名な『斉藤道三』から三木道三にDeeJay名としたらしい。

その後から三木道三と言う名が売れ始めた。
その時に投資家の山本 氏が現れた。

役者が揃い。

『斬るJAPANESE』が売れ出した。
その次に『肌の色は違うけど…♪』で、さらに売れ始めた。

その次にチャート1に成る訳であるが、私が誘われて作成した政治、環境保護などなどのリリック『異常気象』…etc

など中心にした【独居房】を作成して三木にテープ録音したのを渡した1曲の中心韻にしたのをパクり。

*参考にしても良いか?とか、私に言えば、良かったと私は思うが…

その曲名が【Life Time Respect】である。
この後に全国ツアーし後について、セキュリティなどなど、した。

全国ツアー中に、『大手音楽事務所』の依頼の話が私に年間、1億円の契約の話が入り、その話を蹴れば一発屋で、終わるとも告げたが、結果的には断り一発屋で終わることと成り。

契約書が無い相手にはギャラを踏み倒している。

yoshinori

続きは、また後日…