『DOZAN11』A.K.A『三木道三』から僕『田渕義典』が、ギャラを飛ばされた流れを記載します。

現在、実に焦っている。この年齢から目標を達成する時間が刻一刻と過ぎて行っているから…

『DOZAN11』A.K.A『三木道三』の事を『三木』と記載します。三木と出会ったのは神戸市の2号線だったと思います。約20歳代に三木の親友である『古川直英』の事も『古川』と記載します。古川と三木は京都市の産業大学で仲が良く成ったと聞いている。

古川と三木は産業大学の卒業する時に、古川はHipHop DJに成り、三木はReggae DeeJayに成ると云う事で産業大学を卒業したんだとか…

古川は、其の後、僕がバックへ、つく事に成った。HipHop DJ軍団【平田興業】の結成者の一人でした。その平田興業のCru, のメンバーの中へ、中学生のヤンキー暴走族だった時からの同級生の『竹村けんた』の弟が所属していたが、残念な事に車の事故で亡くなりました。其の後に、『竹村ケンタ』が加わりした事から平田興業のバックに、つく事に自動的に成りました。

『竹村ケンタ』の事は『ケンタ』と記載します。このケンタが、僕の舎弟分であった者を塾長とさせ、結成した【大日本宏心塾】塾生だった訳からバックに、つく事に成った。

其の後、即に古川から紹介したい者が居るので会ってくれへんか?との事から三木と神戸市で紹介され出会い、その日に、これから大阪のクラブで歌うとの事から古川と三木と僕とで、その大阪のクラブへ行く事と成り、日本のReggae(ジャパレゲ)を初めて聴いた事に成りました。子供の頃から本場のReggae は聴いていたからReggaeは聴いていたが、日本のReggaeは初めて聴いた初体験と成りました。

この時期は、まだ三木は、音楽界で、それほど有名人では無く、その日から三木のバックに立つ事に成り、プロデュースし始めた訳である。この頃、三木は東京で、マリファナの所持で警察に捕まった事も有り、まずは僕の日本で一番有名と成ったホームページから三木のネットデビューさせることと成りました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%A4%E3%82%AF%E3%82%B6%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BA%8B%E4%BB%B6




これは現代と比較には、ならないガキ的なネットデビューだった訳で、ジャパレゲ界だけで無く他の分野の方々にも名前を覚えて頂くことに成りました。


この時期であるが、三木のプロデュースだけで無く、三木は僕自身をMC, DeeJay, に誘い極道者の現役の最中で【大日本宏心塾】の設立だけで無く既に、【二代目 義道会】の頭領の時期で有り劇的なアーティストの始まりだった。その頃の極道主催の興業などの分野は演歌など歌謡曲などなど…であった。

現役の極道がReggae, DeeJayなど、誰も居ない事も有り、曲のタイトル名(独居房)も決めて一緒に曲を作ろうと云い誘って来た訳です。

その様な事から初めて作詞、作曲し、誰かのG-Fank系のサウンドを使い、レコードのタウンテーベルを事務所に持ち込み、ミキサーにマイクを指して、一曲、作り三木の部屋に若い衆5人ほど連れてカセットテープへ録音した曲を三木に渡し、(驚いた顔で、これはスタジオ借りて作った?)と聞いて、その曲の中心にした韻が、"一生一緒"だった訳でした。

この曲を聴いた後、三木は一緒に曲を作ろうとタイトル名(独居房)を作らない方向へ三木は、口にも出さなく成った訳である。

こんな事は当時では考えられない事でした。
HipHop, Reggae, などの分野で、現役の極道のシノギとして、興業を、したのも日本で初の出来事だった訳です。そういった分野の興業には、様々なダンサー、MC、DeeJay, DJ, Singer…etc

その様なイベントへ、VIP席など用意してスーツを来た現役などの特別な空間も用意していた。
僕は格闘技の関係でしたから、当時に有名と成っていた『エンセン井上』なども、エンセンの経営していた京都ジムのK1選手などなど…も来ておりました。

三木は、この頃に『山本さん』と出会った訳である。山本さんはスポンサーと成り、三木との法に則り契約していた訳です。これが唯一、三木が手にした功績だと言えます。

(これで、役者が揃った訳である。)

この文面はノンフィクション小説の一部分です。
目次の中の一個です。本の内容は他の多くの出来事の年齢別に分けて内容自体は、ほぼ、出来ている。他の目次の方が、大きな出来事だと言えますが、資本金が無ければ、発売が出来ない…

宮崎学 氏からお世話に成った時期が有ります。

宮崎学 氏が亡くなり、もう約4年近くに成りましたね。


10歳代の方々は知らないかも知れませんが、京都は伏見の初代の寺村組の息子として、この世に姓を受け、学生運動の早大闘争、東大闘争などの中心的人物と言われた。


当時に有名な事件『グリコ森永事件』の犯人だと疑われた方です。僕の『京都ヤクザホームページ削除事件』で、各社マスコミが大きく騒いだ事件の際に、宮崎学 氏から応援して頂いた訳です。


この事件後、直ぐに『突破者』のノンフィクション小説で、ベストセラー作家に成られた方でした。


宮崎学 氏から学んだ内容は一言で述べれば、

(最大のピンチは最大のチャンス)

この言葉を教えて頂きました。



 

 

女性で初の総理大臣が生まれたね!

著者:新渡戸稲造氏の一日一言に書かれている通り、また、大和ノ党の綱領の一項目にも書いてある通り。

外柔内剛と言って、外に対しては温和な姿を見せ、心の中に頑固な意志を持っている人は、本当は底力のある強い人間であって、女性にわりと、そのような人の例を見る。

教養のない、ただの人の血気にはやる勇気は獣類にも備わっているが、真の勇気は平凡な人の眼には映らず、深く心の中に潜んでいて、思いがけないところで現れるものである。

〈明治天皇御製〉

器にはひながら岩をも
 とほすは水の力なりけり

追伸

↓俺のアドバイスは下記内容↓

認知・判断・行動
報告・連絡・相談
リズム・テンポ・スピード


おはようさん。

石破さん、総理を降りましたね。次は総裁選と言う事なんやけど、俺は、17歳から40歳代、前まで金に困った事は無いが、若い17歳までは、米にも困った事が数年あった。

40歳代、前からは、一日、一食も、食う事に困っている。今など、ストレス発散と無い時ほど外にでたら見た目は余裕が有るように無い時ほど、金は使うモノやとの先人、長老さまの教えによって頑張っておる!今月なんど、少し前に遊技して、飯など、2日に一食やねん。

総裁選も、ええが、貧乏世帯へ給付金を与える事に、何ヶ月かかっとるねん。そない思う。俺が代表を務めている。
新民主主義である、大和ノ党では、口座すら持って無い。

政治活動費も全て、自己負担でな…

何よりも早く国民に給付金を与える事が一番、優先するべき課題やと、俺は思う。
日本初のネット活動を中心にした政治活動は、当初は騒がれたが、現在なんど、当たり前で、他の政治家は与野党とも、ネットで政治活動するのは、当たり前に、成っとる。

誰が最初とか、どうでも良いが、実質主義を考えると記載が必要不可欠やから書いとんねん。

大和ノ党



現代では100年世代が寿命だと、言われていると思いますが、約500年前の戦国時代では織田信長の人生50年と歌が有名だが、現代は戦国時代の倍の寿命だと思えるが、約100年に約10年、寿命が伸びている事に、なります。

この100歳時代では、男は50からと感じます。良いも悪いも70歳や、80歳の世代の先人の方々に、教えを頂いて、若い20歳代、30歳代、40歳代、50歳代が、現役世代が秘書に立ち、若手が育ち、長老の方々の教えを大切に頑張る事が必要だと感じます。

まだまだ、先人の世代の方々が先頭に立っていないと駄目だと私は思います。

大和ノ党

田渕義典


さてさて、選挙ですね。私は過去、暴力沙汰の前科が約10回ほど有ります。覚醒剤取締法違反も15年以上前に一度、逮捕、起訴された経験があるためも有り選挙などなど… 表だった、選挙なども、国会議員などとの交流も出来ません。例えば国会議員の方が私と付き合いすれば問題にも成るでしょうし、ネットなどでも返信したくても返信できないから、裏と云うか、その様なポジションで政治活動を、しております。しかし私達は表で無くても、良い方向に向かって動くことを望んでいます。


しかし、現在の政治家達は消費税などの税金を無くすと云う事が騒がれて凱旋などで与野党の政党が試行錯誤しております。


私が現在、代表である大和ノ党の意見はネット空間を中心に、貢献できれば良いと思いで記載します。


①遊び関係である『飲み・打つ・買う』は、税金を高くて良いと感じます。


②その相対的である『衣・食・住』生活するのに必要不可欠であるモノは、消費税など税金を無くせば良い訳です。


説明


『飲み・打つ・買う』とは、酒を飲んで遊ぶ事や、煙草などの事を指します。博打、パチンコなどの遊びを打つと云う意味です。買うとは、風俗など女を金を出してSEXする事を指します。


『衣・食・住』は、衣服などを指します。

食は字の通り、食品関係など食事を指します。

住とは、住む家などを指します。


シンプルに言えば、遊びは税金を多く取り、その反面、生活に必要なモノには、消費税など廃止したら良いのです。弱者に優しい政治の未来を創る訳です。


給付金は消費税などは、廃止が確立するまでの間は10万円ならば年に、2回として頂きたい。

現在、総理が述べた、2万円であれば、毎月、給付金を出す事と、して頂きたい。毎月が無理ならば、最低、春夏秋冬と年に、4回、支給するべきだと言えます。


大和ノ党は、これが公約だと云う事です。


大和ノ党



















若い頃は買ってでも苦労せい!と云う言葉が有るが、この言葉の通りだと思います。
僕は親父から小遣いを貰った事が無い。
僕が中学を卒業した約16歳の頃に車の事故した時に当時、付き合っていた女と岡山へ行き体を、かわしに岡山で部屋を借りて建設会社に働きに行った時期が一年ほど有り、その頃の女には苦労させた。
給料が入れば、毎月ポーカーのテーブルゲームで給料の全てを使い果たしていた時、米すら買え無い時が、あったが、親父は米の一粒すら買ってくれなかった。大人に成って分かったが当時は何て薄情な親父やと思っていたが、本当は買ってやりたいのを我慢していたと分かった。小遣いもくれた事が無かった。まだ、幼い頃にパチンコの打ち子をして一日シノギさせて、約10万程度を儲け、一割の一万円くれていた。その頃の一万円は凄く大きなシノギだった。周りの子供達の一日の小遣いが、50円とか100円でしたから一万円は大きな額でした。
自分でシノギしなければ金が入らないと云う事を教えてくれてたんです。