おはようさん!皆様、僕は10年以上前から堅気(一般社会)へ属しております。どうか怖がらないで下さい。どうかFollowなど、コメントなどなど…よろしくお願い致します。両親とも極道のサラブレッドとして約35歳くらいまで裏社会に属しておりましたが、35歳以後は、この多数派の一般社会で10年以上過ごしてきました。法的には約5年で、一般社会人と成れるらしく僕は5年の3倍近く過ごしております。法律も守る社会だと理解もしています。今後とも宜しくお願い致します。

極道時代に政治活動を日本で一番最初にインターネット空間内活動をし、ホームページを作成しマスコミ各社、騒ぎました。朝日新聞の三面記事から始まり協力して頂いた宮崎学さん、少数派のインターネットワーカーの皆様と、協力し日本のインターネット空間を現代まで急速に広大しました。仲間は当時は、裏社会、表社会、関係なくネットワーカー達の皆様と協力しあい現代が生まれた訳です。

ヤクザ者までホームページ作成しインターネット空間を使用して広大の協力し合いました。
どこかの大学の学生達がホテルを借り、僕へ取材し大学で公開するとの事でした。ヤクザがホームページ作成しているのに、様々な各社社会が使用しないのは、遅れているとの時代でした。この時は二代目義道会の継承し、右翼団体の設立、ネットで日本で一番最初に政治活動もした訳で、資本主義で述べれは何兆円の価値がある行為だった訳で有り、若い衆は末端まで含めれば100人以上の若者達が僕の配下に存在していた訳である。

また、異常気象、子供達の異常犯罪、宇宙への道の水耕栽培の輸出入の展示販売、車のセキュリティアラームなど…etc

ロサンゼルスへ進出、メキシコシィテイへと大富豪の二家の家族関係などなど…

田渕義典
Tabuchi.e.Yoshinori
Nick name is eossy(よしぃぃ)

大和ノ党 
略称:YAMATO(大和)

ホームページ削除事件 
(開けてビックリ任侠道)

Wikipediaへ京都ヤクザホームページ削除事件と存在しています。現代でも当時のネットワーカー達の方々が、連載しアーカイブとして残していたと感じます。



I declare to the people of the world: In this capitalist world that I hate, I will conquer the world just once before I die! My baseless confidence!


世界中の人々に宣言します。私が嫌いな、この資本主義の世界で、私は死ぬまでに、一度だけ天下をとったる!僕の根拠のない自信!



今の自分の環境を最大限に把握して狙えば、当たるんです。当たるんですよ!

yoshinori

田渕義典の根拠のない自信である。

If you fully understand the current situation and set your sights accordingly, you will surely achieve your goals. You will definitely achieve them!

yoshinori
This is Yoshinori Tabuchi's unfounded confidence.



あと一曲だけ曲を作ろうと思ってんねん。


この後輩の後輩(DJ-OAK)は、スクラッチが上手いから、その作成する曲のトラックに、こいつのスクラッチをMIXしようと思ってんねん。


Brown sugar style

yoshinori

I'm thinking of making just one more song.

A junior of my junior (DJ-OAK) is really good at scratching, so I'm thinking of mixing his scratches into the song I'm currently making.

Brown Sugar Style

yoshinori



親父(田渕組"旧名称:義道会"の頭領)が膵臓癌で闘病生活の末に亡くなり、生涯、唯一の兄貴(斎藤組の頭領の斎藤の兄貴)分も病気で翌年に亡くなり、母親は親父の後追い自殺したことで、僕は生まれて初めて堅気に成りました。

この年、約35歳ごろで有りました。この時期頃からは暴力団対策法が生まれ、極道は時が刻む度に減少し始め出した訳です。

僕は18歳で大日本宏心塾(親父の田渕敏宏の"宏"の心の塾)と名称し企業舎弟だった井坂を塾長の椅子に座らせ、私は名誉会長と設立者として。

同時期、新愚連隊ファーフル(fearful)の設立し、末端まで併せたら100人ほど若い衆が所属していた。

22歳の時に、任侠一家の義道会の二代目義道会を継承し、20歳の後半には、新しい右翼団体:皇優會の設立して、舎弟に会長をさせました。

生まれた時から両親ともに極道の血統で生まれ育ち堅気に成るのが初めてと成りました。

30歳代の中頃の約35歳に親父と兄貴と母親が亡くなり堅気の道しか道は有りませんでした。

堅気に成ってからは金銭も貧乏生活と成りました。

お恥ずかしいですが、前科は10回程度ありました。
12歳に強盗致傷で逮捕されたのが最初の前科でした。何度も塀の中に放り込まれておりました。

20歳の時にカチコミ(殴り込み)で、パクられ(逮捕され)罪名は、①傷害②銃刀法違反③器物破損④監禁⑤住居侵入⑥道交法…etc
道交法の件は否認し京都拘置所で、1年間ほど座り、その否認している道交法が立証する事が無くなり、奇跡的に弁当(執行猶予)で出所。

其の後、2件以外は全て暴力関係の罪名が大半だった。一度だけ何十年も前にシャブ(覚醒剤取締法違反)で、パクられたが、シャブも何十年前に卒業したが一度は通る道であった訳です。

ヤンキー17歳で卒業。
新愚連隊の設立。
任侠一家の二代目義道会の継承。
右翼団体の2団体の設立。

約35歳、後半に完全に堅気の道と成る。

ロサンゼルスへ進出。
メキシコの大富豪の2族と家族付き合い。
細かな詳細など…

ノンフィクション小説?
ノンフィクション電子書籍?
ノンフィクション漫画?

年齢別で書き込む事と致しました。

様々なシノギ。水耕栽培の機材はイスラエルで改良され、NASAが認定した機材の輸入展示販売。パイパー(車のセキュリティアラーム)輸入販売。三木道三の出来事も含め。
車のディーラー。不動産のディーラー。


『DOZAN11』A.K.A『三木道三』から僕『田渕義典』が、ギャラを飛ばされた流れを記載します。

現在、実に焦っている。この年齢から目標を達成する時間が刻一刻と過ぎて行っているから…

『DOZAN11』A.K.A『三木道三』の事を『三木』と記載します。三木と出会ったのは神戸市の2号線だったと思います。約20歳代に三木の親友である『古川直英』の事も『古川』と記載します。古川と三木は京都市の産業大学で仲が良く成ったと聞いている。

古川と三木は産業大学の卒業する時に、古川はHipHop DJに成り、三木はReggae DeeJayに成ると云う事で産業大学を卒業したんだとか…

古川は、其の後、僕がバックへ、つく事に成った。HipHop DJ軍団【平田興業】の結成者の一人でした。その平田興業のCru, のメンバーの中へ、中学生のヤンキー暴走族だった時からの同級生の『竹村けんた』の弟が所属していたが、残念な事に車の事故で亡くなりました。其の後に、『竹村ケンタ』が加わりした事から平田興業のバックに、つく事に自動的に成りました。

『竹村ケンタ』の事は『ケンタ』と記載します。このケンタが、僕の舎弟分であった者を塾長とさせ、結成した【大日本宏心塾】塾生だった訳からバックに、つく事に成った。

其の後、即に古川から紹介したい者が居るので会ってくれへんか?との事から三木と神戸市で紹介され出会い、その日に、これから大阪のクラブで歌うとの事から古川と三木と僕とで、その大阪のクラブへ行く事と成り、日本のReggae(ジャパレゲ)を初めて聴いた事に成りました。子供の頃から本場のReggae は聴いていたからReggaeは聴いていたが、日本のReggaeは初めて聴いた初体験と成りました。

この時期は、まだ三木は、音楽界で、それほど有名人では無く、その日から三木のバックに立つ事に成り、プロデュースし始めた訳である。この頃、三木は東京で、マリファナの所持で警察に捕まった事も有り、まずは僕の日本で一番有名と成ったホームページから三木のネットデビューさせることと成りました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%A4%E3%82%AF%E3%82%B6%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BA%8B%E4%BB%B6




これは現代と比較には、ならないガキ的なネットデビューだった訳で、ジャパレゲ界だけで無く他の分野の方々にも名前を覚えて頂くことに成りました。


この時期であるが、三木のプロデュースだけで無く、三木は僕自身をMC, DeeJay, に誘い極道者の現役の最中で【大日本宏心塾】の設立だけで無く既に、【二代目 義道会】の頭領の時期で有り劇的なアーティストの始まりだった。その頃の極道主催の興業などの分野は演歌など歌謡曲などなど…であった。

現役の極道がReggae, DeeJayなど、誰も居ない事も有り、曲のタイトル名(独居房)も決めて一緒に曲を作ろうと云い誘って来た訳です。

その様な事から初めて作詞、作曲し、誰かのG-Fank系のサウンドを使い、レコードのタウンテーベルを事務所に持ち込み、ミキサーにマイクを指して、一曲、作り三木の部屋に若い衆5人ほど連れてカセットテープへ録音した曲を三木に渡し、(驚いた顔で、これはスタジオ借りて作った?)と聞いて、その曲の中心にした韻が、"一生一緒"だった訳でした。

この曲を聴いた後、三木は一緒に曲を作ろうとタイトル名(独居房)を作らない方向へ三木は、口にも出さなく成った訳である。

こんな事は当時では考えられない事でした。
HipHop, Reggae, などの分野で、現役の極道のシノギとして、興業を、したのも日本で初の出来事だった訳です。そういった分野の興業には、様々なダンサー、MC、DeeJay, DJ, Singer…etc

その様なイベントへ、VIP席など用意してスーツを来た現役などの特別な空間も用意していた。
僕は格闘技の関係でしたから、当時に有名と成っていた『エンセン井上』なども、エンセンの経営していた京都ジムのK1選手などなど…も来ておりました。

三木は、この頃に『山本さん』と出会った訳である。山本さんはスポンサーと成り、三木との法に則り契約していた訳です。これが唯一、三木が手にした功績だと言えます。

(これで、役者が揃った訳である。)

この文面はノンフィクション小説の一部分です。
目次の中の一個です。本の内容は他の多くの出来事の年齢別に分けて内容自体は、ほぼ、出来ている。他の目次の方が、大きな出来事だと言えますが、資本金が無ければ、発売が出来ない…

宮崎学 氏からお世話に成った時期が有ります。

宮崎学 氏が亡くなり、もう約4年近くに成りましたね。


10歳代の方々は知らないかも知れませんが、京都は伏見の初代の寺村組の息子として、この世に姓を受け、学生運動の早大闘争、東大闘争などの中心的人物と言われた。


当時に有名な事件『グリコ森永事件』の犯人だと疑われた方です。僕の『京都ヤクザホームページ削除事件』で、各社マスコミが大きく騒いだ事件の際に、宮崎学 氏から応援して頂いた訳です。


この事件後、直ぐに『突破者』のノンフィクション小説で、ベストセラー作家に成られた方でした。


宮崎学 氏から学んだ内容は一言で述べれば、

(最大のピンチは最大のチャンス)

この言葉を教えて頂きました。