基本的に毎年、氏神神社に二年詣りに行っています。年明け10分前位に家を出て拝殿内で参拝。年が明けてから再び参拝。子供の頃は、境内で古い御札や注連縄をお焚き上げしていて、その炎でスルメを焼いて食べるのが楽しみでした。

 

 近年は、火の番が大変なので大晦日の日中にお焚き上げを行っています。今年は天候が悪く暴風雪だったので、二年詣りには行きませんでしたが、大晦日の日中に古い御札と注連縄を神社に持って行った際に参拝し、一年の感謝を伝え、元日の日中に初詣に行き新年の抱負を祈りました。例年と比べると時間差の二年詣りとなりました。

 

 以前と異なり、お焚き上げが日中になったので、時間差の二年詣りができた訳ですが、氏神神社の二年詣りでスルメを焼いて食べる。私にとって年中行事であったことが、自分の子供には経験させてあげられないのが、何だか少しさみしい気がします。

 

 

 この他にも、子供の頃と変わっていることに気がつきました。鏡餅です。以前は各家庭でついた鏡餅がお供えされていたように記憶していますが、今は既製品のプラスチックの容器に納まった鏡餅がお供えされていました。時代の流れですね。子供の頃、餅つき機を使う時は、ブレーカーが落ちるので他の電気を消さないといけないと聞いたことがあります。当時の農村地域のあるあるかもしれません。

 

 さて、折角なので、私の氏神神社の内部を少しご紹介します。お気づきの方もいるかもしれませんが、これまで『奉拝之記』では、多くの県内神社の拝殿、本殿の外観の画像は掲載していても、内部の画像は掲載していません。それは撮っていないからです。これは、氏子でもない私が神聖な内部の写真を撮ることについて畏れ多と感じているからです(撮っていらしゃる方は気を悪くしないでくださいね。あくまで個人的な考えで他の方の行動を否定するものではありません)。

 少し前置きが長くなりましたが、今回は私の氏神神社の内部の画像を先の通り載せましたので、その他も少し紹介します。氏子だからといって畏れ多いことには変わりないのですが・・・

 

 

 拝殿から本殿を望む。幣殿にお供えが並んでいます。正面の真ん中に掲げられている剱。鍛冶屋だった私の四代前の御先祖様が明治35年に奉納したものです。親から教えられた訳ではなく、ある時見て気づきました。

 「御先祖様はどんな願を懸けたのだろう」と気づいた時は感慨深いものがありました。

 

 名前は画像処理して見えなくしていますが、個人情報保護のため、あしからず。次男に「御先祖様が作って奉納したんだよ」と伝えると「じゃあ、返してもらえるの?」とトンチンカンな事を言っていました。欲しかったみたいです。

 

 その他、『当社之景』と題された絵。かつては林に囲まれていたんですね。

 

 ヤマタノオロチ退治図でしょうか。

 

 天之岩戸開き図

 

 川中島の合戦図

 

 いずれも、明治期に奉納されたもののようです。神社明細帳によれば、当社は450年以上の歴史があるようです。私の子供や子孫が、いつか参拝し、「御先祖様が奉納した剱だよ」と語ることがあるのでしょうか。

 

 前回のブログで書いた2021年の出会いですが、当社は神職常駐の神社ではなく、宮司様もかなり離れたところにいらっしゃるので、御朱印は無いものと思っていました。実際、御朱印対応は本務社も含めされていませんが、6月にお訪ねし事情を話してお願いしたところ、特別に御厚意で書いてくださいました。ありがとうございました。

 御朱印を戴き始めて7年目に戴いた氏神神社の御朱印。私にとって、とても思い入れのある大切な御朱印です。

 

 

 長文となりましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 皆様にも良い出会いのある一年となることをお祈り申し上げます。