鎮座地:新潟県上越市頸城区塔ケ崎(旧頚城村)

御祭神:倉稲魂命、素盞嗚尊、月弓尊

旧社格:村社

参拝日:令和2年1月15日、8月28日、令和3年3月10日

 

 創立年月不詳。塔ヶ崎の産土神(頸城区総氏神)。口碑によると領主の祈願所であったという。社殿の背後には「大池」、西隣に「小池」があり、古来より頚城の農耕に重要な役割を果たし、中世、神田山神社が大池・小池の水利権を持っていたとされる。
 天和年間(1681~1688年)幕府から境内六町八反六畝一〇歩除地として付与されていたが、明治5年(1872年)に境内以外を返上した。また同年柏崎県の村社に列したが、後に社格を廃し、新潟県に属した後、大正5年(1916年)、村社に列せられた。
 明治元年(1868年)の神仏分離令により、神仏習合の真言宗神田山顕日寺が廃され、神田山神社として祀られたことから、顕日寺本尊であった行基(668~749年)作と伝わる木造十一面観音坐像(上越市指定文化財。大正4年に金箔に塗り替えられた秘仏)が御神体として祀られている。
 拝殿は観音堂を改築したものであり、内部には朱塗りの柱がある。境内には雁田神社があり、高皇産霊神、神皇産霊神を祀る。

 

初参拝時の拝殿

 

令和3年参拝時

残念ながら大雪で手水舎が倒壊していました

 

 

御朱印