鎮座地:新潟県上越市名立区名立大町(旧名立町)
御祭神:建御名方命、事代主命、大己貴命、素佐能男命、稲田比売命、
屋主忍男武心命、影姫命、武内宿禰命、彦舅命
式内社:江野神社 頸城郡十三座のうちの一座(論社)
旧社格:県社
創祀年代不詳であるが、人皇五代孝照天皇の御宇(前475年~前393年)、江野御崎に大己貴命、事代主命、建御名方命を勧請したのが始まりとする説がある。景行天皇の御宇(71年~130年)、武内宿禰が勅使によって下向、当地に滞在し、当社に祈願したといい、この際に宮司武内家に「武内」の性を与えたとされる。また、「越後国式内神社考證」によると加賀国に江沼郡・石川郡があり、ここを開拓した江沼国造の支別が祖神を祀ったのが江野神社で、本社累世神主武内家も祖神の性に由来すると記している。
初め名立小泊字竹内(鳥ケ首岬、現灯台付近)に鎮座したが鎌倉時代以降に現在地(明神山と呼ばれる丘)に遷座したとされる。鎮座地は第10代崇神天皇の御宇(前97年~前30年)、久比岐国造御矛命が居を構えた旧跡だともいわれる。
元禄年間(1688~1704年)から享保年間に至る間に谷口村にあった牛頭天王社を合祀、また諏訪大明神を合祀(時期不明)し、諏訪大明神と称した。しかし、式内社江野神社であるとして、江戸時代に社号を復したという。
享保9年(1724年)の火災で宝物、古文書等消失した。現在の社殿は、明治2年(1868年)に造営されたもので、現在拝殿は銅板葺だが、10年程前までは茅葺であった。明治6年村社、昭和6年郷社、昭和9年に県社となった。
毎年7月7日から14日まで行われる祇園祭は、谷口の牛頭天王社から300年以上の伝統があり、神輿、山車が町内を練り歩き、里神楽が奉納され市の無形民俗文化財に指定されている。
令和2年1月2日に参拝した際は、拝殿の中で、還暦を迎える氏子の方々の御祈祷が行われており、巫女による舞の奉納を拝見することができました。古くから地域を守り、守られている伝統ある神社であると感じました。
過去には、2017年3月、2018年1月、2019年4月と参拝しましたが、令和となり御朱印を戴きました。日付はありませんが、1月2日、1月15日です。