鎮座地:新潟県南魚沼市大倉(旧大和町)
御祭神:天津彦火瓊々杵尊、木花開耶姫尊、彦太忍信命、紀白糸姫命
式内社:坂本神社 魚沼郡五座のうちの一座(論社)
旧社格:村社
人皇第8代孝元天皇の皇子「彦太忍信命(魚沼日子命)」と妻「紀白絲姫命(坂本姫命・魚沼日女命)」が勅により髙志の地に下られ、居を構えたとされています。(彦太忍信命の孫は武内宿禰)命は、荘厳にして秀麗な姿の山を大沼山(後に魚沼山、その後八海山)と名付け、高千穂の峰の天孫降臨の古事を思い、山頂に「天津彦彦火瓊瓊杵尊」と妻「木花開耶姫命」を合祀して祭神とされた。彦太忍信命の御神骸は山頂に、紀白絲姫命の御神骸は御室(山頂より約半里下がれる路傍)に納められ、2霊をもって魚沼大明神として奉られています。
彦太忍信命と紀白絲姫命の子は魚沼宿禰称し、次の3世から5世までは「坂本」を名乗りましたが、皇紀587年人皇第11代垂仁天皇の御代に北越を治めた魏通剛王男武髙と第6世「美瀧千々織姫」が婚姻して姓を「上村」(7世以降は上村)と称するとともに、氏神を祀るために「坂本神社」を建立したと伝えられています(現在の社殿は昭和16年建築)。
皇紀1,465年大同3年(西暦808年)8月、第42世上村主髙倉麿勝臣の時代に、空海が魚沼山(八海山)に登山し、37日の護摩修行を行ったとされ、8個の池があるのを見て「爾今、魚沼山を八海山と称すべし」との伝承もありますが、人皇第53代淳和天皇の御代に、勅により「八海山」の号を賜ったとされています。
このことにより八海山神を崇敬する人々が多くなったため、山頂を本社とし、里宮を八海山大明神として奉られたと伝承されています。
護摩修行を終え下山した空海が彫ったと伝承される「聖徳太子像」は今も坂本神社に安置されています。
第58世上村能登守勝在のとき民間に下り、それまでの居から現在の大倉に移住したと伝えられており、それが大倉村の始まりとされています。
このとき、願いを受けて現在の南魚沼市内の宮と田崎の坂本神社、湯沢町神立の魚沼神社、魚沼市広瀬の坂本神社を分祀したとされています。
【八海山 坂本神社~由来~ より一部転載】
最初の参拝は平成28年11月で、神社に向かう道路から見る山の紅葉がとてもきれいでした。毎年5月末には火渡大祭が行なわれます。平成30年10月、令和となり8月に再び参拝し、御朱印を戴きました。
上記の由来によれば、現在の108世上村宮司様は、孝元天皇の子孫ということになるのでしょうか。2,200年以上の歴史が脈々と伝わっていることに畏敬の念を抱きます。
【更新履歴】
2018年2月3日 初稿
2019年10月13日 記事差替、御朱印、画像追加


