鎮座地:新潟市秋葉区新津本町
御祭神:伊邪那岐神、伊邪那美神
旧社格:郷社
初代金津城主の金津資義が金津城築城の際(1200年頃)、地中から男女神像を得て城中に伊邪那岐尊、伊邪那美尊とお祀りし、堀出大神と奉称したのが、堀出神社の創祀とされます。
資義公の次男資直が金津城の後を継ぎ、三男信資が天福元年(1233年)頃、山谷に分家し、新津氏の初代となります。本家金津氏が金津を去る際、所領と堀出神社の御神体を新津氏が受け継ぎ新津城内に守護神として祀られました。後世金津に鎮座した堀出神社は、この御分霊が祀られたものです。
15代新津勝資が、天正元年(1573年)、新津城外に社殿を建立、奉遷して領内の総守護神、新津郷の社頭として鎮座、以後今日に至るまで堀出様として崇敬され親しまれてきました。慶長3年(1558年)上杉景勝の会津移封の際、上杉氏に仕えていた勝資公も会津へ移り、さらに米沢へと移られた後も分社を奉祀され、明治の御代まで、8月の例大祭には米沢から新津家の御用職が代参されました。明治15年(1882年)には米沢から御神宝が当社に戻り迎納されています。
明治5年(1872年)、村社に列せられ、その後郷社に昇格。明治13年(1880年)火災で焼失、明治23年(1890年)に現在地に移転再建した。
明治41年(1908年)五社神社(宇迦魂神、宇氣母智神、豊宇氣比賣神、大宜都比賣神、大宜膳都神)と住吉社(表筒男命、中筒男命、底筒男命)を合併。明治43年(1910年)八雲神社(健速須佐男尊)を合併。大正元年(1912年)神明宮(天照皇大御神)を合併した。
平成12年には御鎮座440年祭を記念して参集殿、神輿庫を新築した。
現在、末社として愛宕社、天王八雲社、住吉社、五社神社、稲荷社、伊夜日子社、忠魂碑がある。
令和となり、2年振りに参拝。御朱印を戴きました。
【更新履歴】
2017年11月11日 初稿
2020年3月20日 記事差替、御朱印追加